愛知・名古屋アジアパラ競技大会(読売新聞社協賛)の競泳男子50メートル自由形(S9)が20日、名古屋市南区の名古屋市総合体育館レインボープールで行われ、豊田市在住の岡島貫太選手(22)(セントラル)は4位に終わった。自己ベストを更新したものの、終盤の追い上げが届かず、2大会連続の4位となった。
地元の重圧と戦い、自己ベスト更新
レース後、岡島選手は「今泣いているのも悔しかったからなのか、安堵からなのか分からない。それぐらいレース前からしんどかった」と心境を語った。
地元開催の大舞台で、観客からの大きな声援は重圧でもあったが、「2、3年ぶりのベストを出すことができ、応援してくれた皆さんに感謝している」と話した。
水泳を始めたきっかけと歩み
岡島選手は生まれつき右肘より先が短く、手を使うスポーツが難しいため、姉の影響で5歳からスイミングスクールに通い始めた。障害のない人も出場する豊田市の市民大会で「こんなに通用しないんだ」と実感した際、母が応募した「J―STARプロジェクト」に選ばれ、パラ水泳に本格的に取り組み始めた。
高校卒業後は日本福祉大学に進学し、水泳部の主将を務めた。水泳部には2学年下で日本代表の井戸夢翔選手らパラ水泳の選手が複数所属。入学当初はスピード差から障害のない部員と分かれて練習するが、上級生になると一緒に練習するという。「健常の子らに交じって泳ぐことは、パラ選手にとって貴重な経験で刺激になった」と振り返る。
大学卒業後の変化と練習環境
大学2年で初出場した杭州アジアパラ大会でも50メートル自由形で4位に終わった。2026年に大学を卒業後は専属コーチの指導を受け始め、「頭を使って泳ぐようになった」という。水をかく手の向きや入水位置を意識することで「以前よりも余力を残して楽に泳げるようになった」と語る。
大会前は、普段の練習場所がアジア大会のため使えず、8月下旬から県内のレジャープールで練習を重ねた。「ウォータースライダーの横で泳いでいると、周りから声をかけられ、応援してくれる人が増えた。誰よりも味方は多いと思う」と限られた環境も笑い飛ばした。
涙を拭い、世界選手権へ
決勝後、岡島選手は「期待を寄せられていた中でメダルに届かなかったのは僕の実力不足。本命だっただけに悔しい」と振り返り、「こんなところで泣いてる場合じゃない。来年の世界選手権に向けて鍛え直したい」と涙を拭った。