アジアパラ車いす100m、事故死した盟友の思い胸に伊藤智也選手が出場
アジアパラ車いす100m、事故死した盟友の思い胸に伊藤選手

愛知・名古屋アジアパラ大会(読売新聞社協賛)の陸上で、パラリンピック通算5大会で計6個のメダルを獲得した三重県鈴鹿市の伊藤智也選手(63)(バイエル薬品)が21日、男子100メートル(車いすT52)に出場する。大会目前に同じ車いすランナーの盟友を交通事故で亡くした。友への思いを胸に日本選手団の男子最年長が大会に挑む。

盟友・上与那原さんを事故で失う

アジアパラ大会に向けて調整を続けていた9月19日、競技仲間から耳を疑う電話があった。車いす陸上の上与那原寛和さん(55)が地元・沖縄県内の公道で練習走行中に軽貨物車に追突され、意識不明の重体という。上与那原さんは事故の1週間後、息を引き取った。

上与那原さんと出会ったのは約20年前だった。障害の程度などによって区分されるパラスポーツでは同じT52クラス。初めてそろってパラリンピックに出場した2008年の北京大会は、伊藤選手が400メートル、800メートルで2冠を達成し、上与那原さんはマラソンで銀メダルに輝いた。

ともに歩んだ戦友との日々

伊藤選手は続く12年のロンドン大会でも3種目で銀メダルを獲得。その後、一時現役を引退したが、車いすなどをデザインする会社関係者の誘いで17年に本格的に復帰した。自己ベストの更新を重ね、24年のパリ大会は61歳にして400メートルで銅メダルに輝いた。

ともに世界の舞台で戦うライバルで盟友。合宿で上与那原さんの住む沖縄を訪ねたり、三重県鈴鹿市の自宅に上与那原さんを招いたりすることもあった。「バルちゃん(上与那原さん)は鈴鹿に来ると『ここは私の別荘』と言っていた」と振り返る。大会や練習の後に酒を酌み交わすのが至福の時間だった。

「やってきたことを正しく表現するだけ」

伊藤選手は21年の東京大会は障害のクラスが一つ軽くなって苦戦。400メートルの予選で敗退すると、上与那原さんも一緒に悔しがってくれた。レース前に助言すると、400メートル、1500メートルで銅メダルを獲得した上与那原さんは「伊藤さんのおかげです」と感謝した。伊藤選手は「周りをいつも思いやる選手だった」と振り返る。

2人は事故前日まで和歌山県で一緒に合宿をしていた。沖縄に戻った日、上与那原さんから電話で「次の大会に向けて調整します」と聞いたのが最後の会話になった。「親友を超えた弟のような存在。彼との時間全てが宝物だった」

伊藤選手は今回のアジアパラ大会で21日の100メートルなど3種目に出場する予定だ。喪失感は大きいが、一緒に喜び合い、悲しみ合ってきた友への思いを胸に「やってきたことを正しく表現するだけです」と語る。2人で培ってきた走りを天国に届ける。