山下泰裕氏、ロサンゼルス五輪で目の当たりにした明暗 柔道無差別級に挑む
山下泰裕氏、ロサンゼルス五輪で目の当たりにした明暗

1984年、山下泰裕氏は全日本選手権で前人未到の8連覇を達成し、同年7月開幕のロサンゼルス五輪の日本代表に選ばれた。さらに日本選手団の主将という大役も任され、中学時代から抱き続けた五輪の夢に挑む時がついに訪れた。

選手村での日々と他競技の明暗

柔道競技は大会後半に組まれ、山下氏が出場する無差別級はその最終日、閉会式前日に行われることになっていた。選手村は大学の学生寮を使った施設で快適であり、調整しながら過ごす中で、他の日本選手の活躍や失意を目の当たりにした。

ある日、レスリングの富山英明選手らと選手村のサウナに行った際、テレビで体操の中継が流れていた。具志堅幸司選手が涙を流している姿を見て、山下氏は「ああ、だめだったのか」と肩を落とした。しかし、それは優勝した感激の涙だった。日の丸が掲揚され、君が代が流れる中、一行は汗をびっしょりかきながら直立不動で画面の日の丸を見上げた。その光景は「ものすごいエネルギーになった」と振り返る。

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具志堅選手は男子個人総合で逆転優勝を果たし、種目別つり輪でも金メダルを獲得。同五輪の日本選手団は、富山選手を含め金メダル10個を獲得した。

柔道界の衝撃と自身の決意

一方、同じ東海大学柔道部で親しかった中西英敏選手は優勝候補でありながら、初戦で怪我をして5位に終わった。予期しない事態に山下氏は驚きを隠せなかった。

こうした他競技の明暗や、身近な仲間のまさかの敗退を目の当たりにし、五輪の厳しさを痛感した。山下氏は自身の無差別級に全力を注ぐ決意を新たにした。

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