ことし3月に81歳で亡くなった歌人、晋樹隆彦さんの遺歌集『追想賦』(ながらみ書房・3080円)が刊行された。編集者としては及川隆彦を名乗り、昭和60年にながらみ書房を設立、平成元年に月刊『短歌往来』を創刊した晋樹さん。出版によって短歌界を支える一方、自らも作歌を続け、歌集『浸蝕』で平成25年に若山牧水賞を受賞した。
若き日の怒りと老いてからの苦味
その死を受けて、歌人の加藤英彦さんは現代歌人協会のサイトで、晋樹さんが27歳のときに詠んだ作品を紹介し、「若さの過剰は、ときに目の前の秩序を破壊したい欲求に突きうごかされる」と記している。
《涼をとる輛に五人の乗客をみな殺しにしたくはないか車掌よ》
激しい。革命でも起こそうかというような怒りと熱がある。若さゆえの不穏な衝動が、そのまま一首の中に封じ込められている。それから半世紀以上の歳月が流れた。本書には、酒とたばこ、旅と競馬、故郷の九十九里浜を愛し、先に逝ってしまった知己を飄々と悼む歌が多い。かつての怒りと熱は深く沈潜している。しかし、消えてしまったわけではない。
《偽善的編集者きみ われもまた時に権力に媚びねばならず》
ここにあるのは、自分だけを例外扱いしない批評精神である。他者を「偽善的」と斬りながら、その刃はすぐに「われ」へと返ってくる。そこには自己嫌悪にも似た苦味がある。
静かな反骨と妻への思慕
《清流を見下ろしながらあふれくる懺悔・悔恨・憤怒の凛と》
最後に置かれた「凛と」が胸に突き刺さる。感情に押し流されているのではない。自分の過ちも後悔も怒りも引き受けたうえで、なお姿勢を正そうとしている。老いた歌人の最後の覚悟が込められている。
歌人、編集者、そして小さな出版社を率いる経営者でもあった晋樹さん。そんな人生の意地がにじむ、こんな歌もいい。
《人気薄の馬にたとえてこれからも後方のままじり脚でよし》
華々しく先頭を走らなくてもいい。人気薄の馬のように後方につけ、自分の脚で最後まで走る。「じり脚でよし」という言葉に、負け惜しみではない矜持がある。若き日の反逆心は、歳月を経てこんな静かな反骨へと姿を変えたのかもしれない。
そして本書の白眉は、先立った妻、歌人の松実啓子さんを思う作品だろう。
《令和四年三月二十四日 眠るまま桜も見られず旅立ちし妻》
《亡き妻の『わがオブローモフ』とう歌集どこへ置きしか本棚荒らす》
《千里浜も想い出の場所小さなるさくら貝君と拾い集めし》
日付、妻の歌集、散らかった本棚、千里浜の小さなさくら貝。悲しい、寂しいとは言わず、具体的なものに記憶を託す。そのためかえって、そこにいない人の姿が鮮やかに立ち上がってくる。「わがオブローモフ」という題名には、ゴンチャロフの小説を踏まえ、妻が夫に向けた親愛と諧謔が込められていたのだろう。亡き妻が自分に向けた言葉を、もう一度探し求めているようでもある。
若き日の怒りも、老いの苦味も、亡き人への思慕も、晋樹さんは歌のなかに置き続けた。その足跡が本書には刻まれている。「じり脚でよし」。そうつぶやきながら走り続けた男が、最後に響かせた静かな蹄の音を聞くような歌集である。



