北海道札幌市の原田公久枝さん(58)は、アイヌ民族であることを理由に長年差別を受け続けてきた。15歳の時には「もうアイヌやめるわ」と宣言したが、差別から逃げることはできなかった。そんな半生をつづった書籍「アイヌやめるのやーめた!」が、札幌の出版社「寿郎社」から発売されている。
「もうアイヌやめるわ」 15歳の決意
親戚はみんなアイヌ民族だった。お母ちゃんに連れられ練習した歌も踊りも大好きだった。しかし、学校では差別を受け、親戚からもいじめられた。心が削られていった。
中学1年の時には「差別」と題した作文を書き、原稿用紙8枚に思いをつづった。作文には「みんなは、人権というものが、ほんとうに、わかっているのだろうか?」と記した。この作文は最優秀賞を受賞し、新聞に取り上げられた。多くの手紙が届いたが、多くは悪意のある内容で、開封するとカミソリの刃が入っていたこともあった。手紙はドラム缶に入れて燃やした。
喜んでくれるはずの親戚には「生意気だ」と言われ、疎まれた。「一緒に踊っていたウタリ(同胞)にも親戚にも、『もう会えなくてもいいや』とさえ思った」という。
逃げられない差別 就職先でも
アイヌを「やめた」が、どこにいてもついてくる。仕事を探すため職業安定所を訪れ「人と接する仕事がいい」と伝えると、担当者は「バカなのか。アイヌは裏方の仕事をしてればいいんだよ」と言った。パチンコ店で働いていた時には、常連客から「お前アイヌだから数字読めんか」とからかわれた。紹介されたコンビニで働き始めて1週間で、ほかのパート全員が店長に「アイヌと一緒に働けない」と迫り、自分が辞めるしかなかった。
「アイヌやめたって、いじめからも差別からも逃げられないんだ」と感じたという。
転機は2006年 北大研究員に
転機は2006年。アイヌ民族の友人を通じて「あの作文の少女に会いたい」と言う人に出会うなど、縁が広がった。その縁で北海道大学の授業を聴講するようになり、北大アイヌ・先住民研究センターの研究員にもなった。「ばあちゃんのことを知りたい」という思いからだった。祖母は、差別にさらされながらも、アイヌの歌や踊りを残そうと地元で「保存会」を立ち上げた人物だ。
北海道新聞の「朝の食卓」にエッセーを寄稿したこともある。嫌な過去を思い出し、何度もペンを止めながら、4年間で計39本を書いた。時間をかけて「アイヌの世界」に戻ってきた。いまは「アイヌである自分と真剣に向き合う覚悟を持つしかない」と思っている。
書籍刊行 「表紙と内容の差に衝撃を受けて」
書籍「アイヌやめるのやーめた!」は、光沢のあるピンクの文字で題名が刻まれた表紙に、原田さんが描いたポップな自画像があしらわれている。「『りくりゅうペア』に憧れてトリプルアクセルを跳びたいなって」と話す。だが、本の内容は重い。書きながら、何度も手が止まり、涙を流したという。「怒りなのか悔しさなのか悲しさなのか、感情が爆発して書けなくなる。そしてまた次の日に書き始めるの」と振り返る。
差別はいまもある。今年1月、コンビニでコーヒーを買ったら、店員から「アイヌが! 偉そうにコーヒーとか」と笑われた。原田さんは「これが現実。表紙と内容の差に衝撃を受けて、読む人が風邪ひけばいいのにって思ってます」と語る。