小学校での英語必修化から数年が経過し、児童間の英語力格差が深刻な問題となっている。歴史学者で作家の濱田浩一郎氏は、夏目漱石の言葉や教育専門家の分析を手がかりに、現代の早期英語教育が抱える課題とその解決策を提示する。
英語必修化がもたらした格差拡大
2011年度から始まった小学校5・6年生での英語必修化(教科化は2020年度)以降、英語力の二極化が顕著になっている。特に、家庭環境や地域による学習機会の差が、そのまま学力差に直結するケースが増加。文部科学省の調査でも、英語の「読む」「聞く」「書く」「話す」の全技能において、習熟度の高い児童と低い児童の差が広がっていることが示されている。
この状況について、濱田氏は「単に授業時間を増やすだけでは格差は是正されない。むしろ、質の伴わない早期教育が格差を固定化させている」と指摘する。
夏目漱石の警鐘と現代への示唆
明治の文豪・夏目漱石は、若き日に英語教育に苦しんだ経験を持ち、その後の評論で「英語を学ぶ前に、まず母国語をしっかりと身につけるべきだ」と繰り返し述べている。漱石自身は英語教師を務めた経験もあるが、英語偏重の教育には批判的だった。
濱田氏は「漱石が100年以上前に指摘した問題が、今も解決されていない。むしろ早期化・高度化によって、子どもたちの負担は増すばかりだ」と警鐘を鳴らす。漱石の時代と現代では教育制度は大きく変わったが、「言語の本質を理解するには母語の基盤が不可欠」という考え方は変わらないという。
専門家が指摘する3つの改善点
和歌山大学の江利川春雄教授(英語教育学)は、現在の小学校英語教育の問題点を改善するために、「授業時間数の再考、指導内容の精選、児童英語教育専門家の配置」の3点が必要だと述べている。濱田氏は「江利川教授の指摘は、漱石の時代から変わらぬ本質を突いている」と評価する。
具体的には、現行の年間35〜70単位時間(小学5・6年)という授業数自体は適切でも、その中で扱う単語数や文法項目が多すぎるため、児童が消化不良を起こしている。また、担任教師の英語力や指導法にばらつきがあることも、格差拡大の一因となっている。
「単にシステムをいじるだけの改革ではなく、教育の質を担保する『専門家(教師)』をいかに育てるかが鍵だ」と濱田氏は強調する。
国語力こそ英語習得の土台
1975年に刊行された高梨健吉・大村喜吉著『日本の英語教育史』(大修館書店)には、「英語と日本語ではまったく言語が異質であるから、毎日少なくとも1時間はやらないと忘れてしまう」と記されている。しかし、小学校では宿題の量が減らされた結果、反復学習の不足が英語力の格差拡大に拍車をかけているとされる。
日本では日常生活で外国語をほとんど必要としない環境にある。そのような言語環境では、年少期から英語を習っても学習効果は上がりにくいという研究結果もある。濱田氏は「それよりも、小学生の間は国語力をしっかり磨き、中学校から本格的に英語を学ぶ方が効果的だ」と提案する。
中学校の学習指導要領では英語の授業は英語で行うことを基本としているが、江利川教授は「英語で授業をすれば学習効率が上がるという科学的な根拠はない」と指摘。むしろ、母語(日本語)を適切に使用することで学習効果が高まるとされている。
「祖国とは国語だ」—言語教育の原点
ルーマニア生まれの作家・思想家エミール・シオラン(1911〜95)は、「人はある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ」という名言を残している。濱田氏は「この言葉が示すように、英語教育の前に『国語』の重要性を再認識する必要がある。数学の問題を解くにも、英語を習得するにも、国語力が必要だからだ」と訴える。
時代は違えど、漱石と江利川教授が導き出した解決策は驚くほど一致している。それは「人」という原点に立ち返ること。専門家の育成と母語の重視。この二つこそが、現代の日本の英語教育が進むべき王道ではないだろうか。



