荒木村重の子孫は秀吉や徳川家に仕えた…信長に一族処刑後も生き延びた3人以上の子
荒木村重の子孫は秀吉や徳川家に仕えた…信長に一族処刑後も生き延びた子

謀反人・荒木村重の子孫はどうなったか

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」でトータス松本が演じる荒木村重は、織田信長に謀反を起こしたことで知られる。しかし、系図研究者の菊地浩之氏によれば、村重の一族郎党が信長に全滅させられたわけではなく、少なくとも3人以上の子が生き延び、後に豊臣秀吉や徳川家康に仕えたという。

成り上がりの生涯

村重は摂津の国人領主・池田家の重臣の子として生まれ、池田勝正に仕えた。元亀元年(1570年)の三好三人衆の策動で池田家が内紛を起こし、勝正が出奔。後を継いだ池田知正が家中をまとめきれず、代わって村重が池田家を束ねるようになった。この頃、村重は「池田村重」と名乗っていた。村重の正妻は池田知正の姉妹であり、一門待遇を得ていたためである。大河ドラマで登場する「だし」は後妻で、池田家とは関係がないとされる。

荒木家の出自

『寛政重修諸家譜』によれば、荒木家は鎌倉幕府御家人・波多野義通の末裔を名乗るが、詳細は不明。多くの系図は村重の父を荒木義村とするが、当時「義」の字を使用できるのは足利将軍家から偏諱を賜った者だけであり、国人領主の家臣では考えにくい。つまり、荒木家の出自ははっきりせず、いつ頃か池田家に仕えたことしかわからない。

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謀反と処刑

村重は信長の命で秀吉に立場を奪われたことなどから、ついに謀反を起こす。信長は激怒し、荒木一族と家臣を虐殺。処刑された者は500人以上にのぼったとされる。しかし、村重の子の一部は難を逃れた。信長の死後、生き残った村重の子たちは、秀吉や徳川家を頼って仕官した。中には、奇想の画家として知られる岩佐又兵衛も村重の落胤(私生児)ではないかという説もある。

子孫のその後

菊地氏の研究によれば、村重の子のうち少なくとも3人が生存し、それぞれが秀吉や徳川家に仕えたという。具体的な子の名や仕官先については、系図研究の成果として今後の発表が待たれる。村重自身も信長の死後は秀吉に仕えたとも言われるが、確証はない。いずれにせよ、村重の血筋は断絶せず、後の世に続いたことは確かである。

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