奈良県十津川村の玉置広之村長は、紀伊半島豪雨から15年を迎え「自然豊かな山間地域だからこそできる、災害に強い村づくりをしたい」と語る。同村は過去の水害の教訓を生かし、近い将来に発生が予測される南海トラフ地震などを見据えた備えを進めている。
面積は県の約5分の1、96%が山林
十津川村の面積は約672平方キロメートルで、県全体の約5分の1を占める。村の96%が山林で、急峻な山の谷あいに集落が点在する。人口は2650人(9月1日時点)で、高齢化率は47.7%。明治22(1889)年の明治大水害では約2600人が北海道へ移住した。その後も水害に見舞われ、紀伊半島豪雨では7人が死亡、6人が行方不明となっている。
「通信網の大切さをひしひしと感じた」
豪雨当時、玉置氏は村職員として県に出向していた。村に戻れたのは約1週間後。土砂崩れで道路が寸断され、迂回を余儀なくされた。携帯電話の基地局が流されたため正確な被害状況が把握できず、情報が錯綜し混乱した。「通信網の大切さをひしひしと感じた」と振り返る。
翌年春に出向を終えると、当時の村長の下で復興住宅の整備を担当。平地が少ない村の急斜面に建つ復興住宅には地元の木材を使用し、「すばるの吹きおろし」と呼ばれる季節風に備えて石積みの基礎や木材の外壁といった古くからの建築様式を採用した。北部と南部の2地区に、高齢者向けや子育て世帯向けの13戸が建てられ、現在も村営住宅として活用されている。
防災拠点整備と情報伝達体制づくり
令和5年には村役場の敷地内に診療所を設けた災害拠点施設が完成。7年の村長選で玉置氏が整備するとした9カ所の防災拠点の一つ、五百瀬集落では、普段は世界遺産の熊野古道を訪れる観光客らが宿泊し、災害時には避難所となる施設を10年度にも着工する。
村は大規模災害時に職員が役場に参集できない事態を想定したマニュアル作りも進める。7つの行政区を作り、地域に住む職員が指示を出し、村役場に被災状況などの情報を伝達する。防災訓練を通して体制づくりを進める計画だ。
十津川村出身の玉置氏は「(交通網が)不便な村の生活では、1週間に1度の買い出しなど、災害に必要な備蓄のローリングストックは当たり前。孤立には慣れている」と実態を踏まえつつ、災害時に「正しい情報を広い村内に点在する集落に伝えることが、安心して暮らせる強い村づくりとなる」と強調した。



