高知龍馬空港(高知県南国市)周辺の田園地帯に、灰色のコンクリート製の巨大な「かまぼこ」が点在している。これは戦時中に米軍の空襲から航空機を守るために建設された掩体壕(えんたいごう)だ。現在も7基が残されており、田んぼに鎮座する異質なコントラストを醸し出している。
掩体壕の構造と歴史
掩体壕は、開口部が翼や機首などをすっぽり収まるように設計され、航空機の大きさに合わせて大小さまざまだ。最大のものは幅約45メートル、奥行き22メートル、高さ約10メートルあり、遠くから見ると古墳のように見える。こうした掩体壕は全国に今もいくつか残されており、多くは旧日本軍から受け継がれた自衛隊基地や民間に転用された空港の周辺にある。
昭和19年3月、旧日本軍は高知海軍航空隊を開設した。3本の滑走路からは誘導路が網の目のように延び、41基あった掩体壕を結んでいた。終戦直前には特攻隊もここから飛び立った。「菊水部隊白菊隊」と名付けられ、鹿児島県の鹿屋基地を経由して出撃し、52人の若者が沖縄の海に散った。
戦後62年を経た現在
終戦後、掩体壕の多くは役目を終えて解体された。同空港の近くに住む吉本富雄さん(82)は当時の混乱ぶりを笑いながらこう語った。「解体業者がコンクリートの中の鉄筋に目をつけたが、壊していくと中から出てきたのは竹を組み合わせた、鉄筋ならぬ“竹筋”。業者は雲隠れしてしまった」。
戦後62年を経た現在、風雨にさらされ続けた掩体壕はコンクリートに亀裂が入り傷みが目立つ。誘導路は消え、水田の中に取り残された7基の掩体壕の中には農機具などが“格納”されていた。昨年、南国市は市の史跡に指定し、掩体壕は保存されることになった。
風化させてはならない戦争の遺跡
風化してゆく戦争の記憶の中で、風化させてはならない戦争の遺跡がここにもあった。平和な風景との奇妙なコントラストが、戦争遺跡として歴史をいまに伝えている。