長崎・大村の不発弾処理完了、避難4時間・新幹線運休…戦争の爪痕
長崎・大村の不発弾処理完了、避難4時間・新幹線運休

長崎県大村市の郡川河川敷で見つかった不発弾は6日、陸上自衛隊が無事に処理した。市は周辺の住民に約4時間にわたって避難指示を出し、新幹線も運休した。戦後81年を経てなお米軍が落としたとみられる爆弾が日常生活に大きな影響を与えたことに、市民らはあらためて戦争の傷痕の深さを感じていた。

不発弾の処理と撤去

長崎県などによると、西部方面後方支援隊の隊員5人が不発弾の周囲に設置された防護壁の中に入り、午前9時8分に処理を開始。弾頭と弾底の二つの信管のうち弾頭の一つが残っており、同11時27分、処理を完了した。不発弾はクレーンで持ち上げ、撤去した。

不発弾は8月17日、国道34号線にかかる福重橋からやや上流の河川敷で住民が発見した。長さ110センチ、幅35センチの250キロ爆弾で、太平洋戦争中に米軍が落としたものとみられる。県は対策本部を設置し、長崎河川国道事務所や大村市、JR九州などと対応を協議。高さ約6メートルの鉄製の円筒で不発弾を囲み、その周りに土のうを積んだ防護壁を設けた。防護壁底面の直径は約20メートルに及ぶ。設置費用は約1740万円を見込む。

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避難指示と交通への影響

大村市は午前7時半、不発弾から半径283メートルに住む276世帯と23事業所に避難指示を発令した。国道34号線や県道など道路は同8時半から全面通行止め。JR九州の西九州新幹線と大村線が避難区域を走っており、新幹線は長崎駅発と武雄温泉発の上下線計6本が運休。大村線も計8本が一部区間の運転を見合わせた。

福重橋近くの「hair salon milli(ヘアサロンミリ)」の美容師小林麻記子さんは店を閉めて避難した。「80年以上前の不発弾と聞いて驚いた。よく爆発しなかったなと思う。処理していただいた方々に感謝したい」。近くで食料品販売店を経営する女性(79)は「ほっとしました。空襲があったことは知っていたので、こんなことがあるんだなあという感じです」と話していた。

戦争の爪痕と記憶

大村市では2017年にも宅地造成現場で不発弾が見つかっている。園田裕史市長は処理終了後に現場で「戦争の爪痕を感じる出来事だ。近くには小学校や中学校もあり、戦争を振り返るきっかけにもなったと思う」と話していた。

大村市には1941年に第21海軍航空廠が置かれ、戦闘機や観測機などを製作していた。海軍航空隊や陸軍施設もあったため米軍の空襲をたびたび受けた。

市歴史資料館などによると、44年10月25日の「大村大空襲」は航空廠が標的で、爆撃機B29が中国から繰り返し飛来。600発以上の焼夷弾や爆弾を投下し、航空廠は壊滅的な打撃を受けた。死傷者は数百人にのぼった。

米軍はその後も翌45年7月末までに十数回にわたって大村を空襲した。今回の不発弾が発見された場所の近くにあった海軍航空隊を狙い、250キロ爆弾を落とした空襲は5回あったことが米軍の記録から分かっている。

市内には、海軍航空廠の本部防空壕や砲台、航空機の防空施設「掩体壕」などの戦争遺跡が数多く残る。資料館の川内彩歌学芸員は今回の不発弾処理について「終戦を迎えてそこですべてが終わったのではないということを突きつけられた出来事だ。戦争を改めて考え直す機会にもなった」と話している。

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