高碕達之助の史料館、宝塚に建設へ 書簡やメモ1万点を保存・公開
高碕達之助の史料館、宝塚に建設へ 書簡やメモ1万点

東洋製缶グループホールディングス(東京)の創業者で、政治家として日中の橋渡し役も担った高碕達之助(1885~1964年)の資料を集めて公開する「高碕史料館」(仮称)が兵庫県宝塚市雲雀丘に建設されることが決まった。ゆかりの「東洋食品研究所」が、高碕の自宅を活用した「高碕記念館」に隣接する形で計画し、2年後のオープンを目指す。

高碕達之助とは

高碕は大阪府高槻市出身で、1917年に東洋製缶を創立。戦時中に満州(現中国東北部)で国策会社・満州重工業開発の総裁となり、戦後は現地の日本人帰還にも尽力した。衆院議員を務め、通商産業相や経済企画庁長官などを歴任。各国の要人との親交が深く、日中貿易のほか、旧ソ連との漁業交渉でも手腕を発揮した。

高碕は29年、宝塚市の高台に自宅を構えた。米国出身の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズの設計で、現在は記念館として活用され、国登録有形文化財になっている。

史料館の計画と資料

製缶技術、貿易、戦後復興、外国との交渉などを記した高碕の書簡やメモなど計約1万点が残されており、昭和の経済、政治、外交の歴史をつなぐ資料となっている。「保管、調査研究、展示する施設が必要」として、史料館の設置が決まった。

計画では、現在、記念館の横にある同研究所の社宅を取り壊し、跡地に地上2階、地下1階延べ273平方メートルの建物を新設する。1階が収蔵庫で、展示スペースとなる2階は木材を使い、ゆったりと過ごせるスペースにする。

生誕140年フォーラム

高碕の生誕140年を記念して、史料館設立の意義をさぐるフォーラムが6日に兵庫県川西市内で開かれ、約120人が参加した。

高碕は日中国交正常化前に半官半民による日中貿易を実現させた。中国側の窓口となった知日派の廖承志(リャオチョンジー)と高碕の頭文字から「LT貿易」と呼ばれた。

慶応大法学部の井上正也教授(日本政治外交史)は、1960年代初頭と現在は、台湾問題を背景に日中関係が悪化している点で共通点があるとし、「当時は、中国との橋渡しを担う政治家や高碕のような経済人が存在していた」と指摘した。「隣国である以上、政治状況にかかわらず何らかの関係を維持する必要があり、高碕の経歴から日中関係を考える手がかりが得られる」と述べた。

資料整理に協力する流通科学大経済学部の村上友章准教授は「民間、政治、行政の領域にまたがる多様でユニークな文書群」と評価している。