桜井茶臼山古墳に200kg超の水銀朱、ヤマト政権の交易実態を示す
桜井茶臼山古墳に200kg超の水銀朱、ヤマト政権の交易

奈良県桜井市にある桜井茶臼山古墳の石室には、200キログラムを超える水銀朱(辰砂)が厚く塗られていた。この大量の朱は、古代ヤマト政権が広範な交易網と鉱山支配によって富を築いた実態を浮き彫りにする。歴史学者の武光誠氏は「辰砂は猛毒の鉱物でありながら、ベンガラよりはるかに美しく、古代の朱は大変貴重だった」と指摘する。

前方後円墳が示すヤマト政権の身分秩序

大型古墳の出現とともに古墳時代が始まる。日本各地の前方後円墳はヤマト政権の発展を物語る考古資料だ。大阪大学名誉教授の都出比呂志氏は、箸墓古墳が築かれた直後に、ヤマト政権が次のような身分制を定めたと唱えた。「大王とそれに準じる者のために全長200メートル以上の前方後円墳をつくる。有力な王族や主要な中央豪族には全長150メートル級、地方の有力豪族には全長120メートル、中級の地方豪族には全長100メートル以下、下級の地方豪族には全長50メートル以下の前方後円墳を築かせる」。都出氏はこの秩序を「前方後円墳体制」と名付けた。ヤマト政権に従った豪族が大王にならって前方後円墳を築くようになったという。前方後円墳の分布を手掛かりに、ヤマト政権の勢力圏拡大を知ることができる。

古墳時代開始以前の古墳

考古学者の多くは「箸墓古墳が築かれた250年あたりに古墳時代が始まった」と考える。纒向遺跡には「纒向型古墳」と呼ばれる箸墓古墳より古い5基の前方後円墳がある。それらの全長はいずれも90メートル代で、箸墓古墳(全長278メートル)の約3分の1である。

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200キロの水銀朱が示す交易の実態

桜井茶臼山古墳の石室に塗られた200キロ超の水銀朱は、宇陀や熊野の水銀鉱山から運ばれたと考えられる。ヤマト政権はこれらの鉱山を支配し、朱を貴重品として交易に用いた。朱は不老長寿の霊薬としても用いられ、その需要は高かった。武光氏は「朱はベンガラよりはるかに美しく、古代の朱は大そう貴重だった」と述べる。この発見は、ヤマト政権が250年には「倭国の交易の核となる都市」に成長していたことを示唆する。

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