連載「ルート66 分断のアメリカを走る」の後編では、「古き良きアメリカ」の外側に置かれてきた、もうひとつのアメリカの姿を伝える。コミュニティーから排除されてきた人びとの抵抗の歴史だ。
イリノイ州シカゴからルート66を西へ、レンタカーで走り始めた。車内で、ビリー・ホリデイの「奇妙な果実」(1939年)を聴いた。木につるされた黒人の遺体を「果実」に重ね、人種的な暴力を告発した歌だ。
「南部の木々は、奇妙な果実をつける 血が葉をぬらし、血が根もとにしたたる 黒い体が南部のそよ風に揺れる」
歌の着想源は中西部で起きたリンチ
歌の着想源とされる出来事は、南部で起きたのではない。デーヴィッド・マーゴリックの著書「ビリー・ホリデイと奇妙な果実」などによると、1930年、シカゴと同じ中西部のインディアナ州で、黒人2人が暴行の末、木につるされた。裁判を受ける前のリンチだった。
地元の写真家が遺体と白人の群衆を撮影した。笑みを浮かべる見物人もいた。写真はポストカードなどとして出回り、衝撃を受けたニューヨークの教師が詩を書き、曲をつけたとされる。
人種差別は、南部だけの歴史ではなかった。南部では、学校やレストラン、水飲み場などを法律で分ける隔離が目立った。一方、北部や中西部、西部では、黒人を町の住民にせず、日没後は追い出すという別の形の排除が広がった。差別の形が違ったのだ。
「サンダウンタウン」だったシセロ
ルート66沿いに走って30分ほどで、同じ州内の都市シセロに入った。いまでは、普通の郊外の街だ。だが、社会学者の故ジェームズ・ローウェン氏らの研究では、シセロは「サンダウンタウン」だった可能性が極めて高い。黒人らに住民になることを認めず、場所によっては、働きに来た人には日没前の退去を求めた地域だ。
ローウェン氏は、国勢調査や新聞、公文書、住民の証言を集め、全米各地の町を記録するデータベースを築いた。掲載された町は候補地も含めて1千を超える。排除の多くは法律や条例ではなく、暴力や口コミ、評判など、非公式な手段によって機能した。証拠が形として残らない場合が多いため、研究では証拠の強さに応じ、「可能性あり(possibly)」「可能性が高い(probably)」「ほぼ確実(surely)」に分類している。シセロは「ほぼ確実」区分に入る。
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