太平洋戦争で戦死した三重県伊勢市の大木善一郎さんの生きざまを描いた絵本「かいぐんの兄さん」を、津市に住むめいの宇城里美さん(67)が作成した。優しかった兄の生きた証しを残したい――。絵本には兄の善一郎さんを最期まで慕い続けた宇城さんの母・ヒサエさんら家族の思いが込められている。
潜水艦「伊169」の最期
全40ページの絵本は「トラック島 夏島沖に眠る 伊169潜水艦。善一郎兄さんが乗る潜水艦。昭和19年 1944年4月4日のことです」という書き出しで始まる。文を記したのは、宇城さんと兄の辻浅吉さん(69)だ。
当時18歳だった善一郎さんは日本海軍の潜水艦「伊169」に通信兵として乗艦していた。トラック諸島(現・ミクロネシア連邦チューク州)沖で停泊中に空襲を受けて急速潜航。しかし、機械室の給気筒から浸水し、浮上できなくなった。乗員は艦内で3日間、生存していたとされ、軍は艦からの応答が途絶えた44年4月7日を乗組員ら89人の戦死日と認定している。
善一郎さんが学んだ海軍通信学校の同窓会報には、こんな内容の記述がある。「艦隊司令部は脱出命令を出したが、伊169からはこれを拒否するモールス信号が発せられた。『陛下の艦を見捨てることはできない。浮上に全員努力す』。その後も断続的に信号は続いたが、『疲労ひどし…』の信号を最後に艦内からの応答は消えた」
妹への手紙と家族の思い
絵本では、善一郎さんとヒサエさんとの手紙のやりとりが紹介されている。「ヒサエは、すぐ下の3人の妹の中でも、特に兄さんが大好きでした。ヒサエは、兄さんに手紙を書きました」「兄さんから手紙がきました」
2021年に亡くなったヒサエさんの遺品からは、善一郎さんから届いた手紙が見つかり、実家にも60通以上が残っていた。どれも両親や弟、妹を気遣う内容だった。宇城さんはヒサエさんから「モールス信号を送っていたのは通信兵の兄さんだった」と聞かされたことを思い出した。
「母のためにも伯父(善一郎さん)が息絶えた最後の3日間について明らかにしたい」。宇城さんは厚生労働省に公文書開示請求をするなど、4年間にわたって資料を収集。昨年9月には、善一郎さんの妹・中村澄子さん(80)、めいの辻麻由美さん(77)と協力し、善一郎さんからの手紙や家族との写真などを収めた記録誌を作った。
絵本の制作と平和教育への活用
絵本の作成を始めたのは今年3月。記録誌に収めた写真や手紙などを人工知能(AI)を使ってイラスト化し、ヒサエさんから聞いた話などを基に善一郎さんの人生をたどった。
「全員脱出せよ」「乗組員を救助しろ。空気を送れ」「眠たくなる」「脱出は…無理」「00時05分 艦内からの応答途絶える 4月7日 命日となる」
4~6月、米国立公文書館に残る米海軍の傍受記録を調べるなどしてたどり着いた最後の3日間のやりとりに12ページを割いた。
絵本の最後は「59年後 兄が眠る海を訪ねた母は、とても喜びました」「善一郎兄さん ありがとう」と締めくくられている。
宇城さんらは7月18日、ヒサエさんの93回目の誕生日を前に、伊勢市有滝町の実家を訪れ、完成した絵本と93羽の折り鶴を仏壇に供えた。
「戦争がどれほど多くの命を奪い、どれほど深い悲しみを残したのか。家族の思いを子や孫の世代へ伝えていくことこそが、同じ悲劇を繰り返さない社会につながると信じています」
宇城さんはヒサエさんの仏前でそう語った。近い将来、絵本を市内の小学校に配布するなどして、平和教育に役立ててもらいたいと考えている。



