第二次世界大戦後、ソ連全土やモンゴルに日本兵ら57万5000人(日本政府推計)が抑留された悲劇は「シベリア抑留」と総称されるが、ジャーナリストの井手裕彦氏は、この言葉が「モンゴル抑留」の実態を覆い隠してきたと指摘する。井手氏の調査によれば、日本政府はソ連政府との交渉に専念するあまり、モンゴルでの抑留者を長年にわたり放置。約200人の身元が未特定のままで、厚生労働省が初めて現地に職員を派遣したのは2018年6月になってからだった。
「シベリア抑留」という言葉が生んだ歪み
井手氏は著書『モンゴル抑留』(角川新書)で、「シベリア抑留」という造語が持つ罪深い力を指摘する。この言葉は1979年に発足した抑留者団体「全国抑留者補償協議会」が使い始めたもので、極寒と飢餓のイメージを広げるのに役立った。しかし実際には、収容所はシベリア地域だけでなく、モスクワ周辺、ウクライナ、中央アジア、北極圏、そしてモンゴルにも存在していた。井手氏は「ユーラシア抑留」と呼ぶべきだと主張する。
「シベリア抑留」というキャッチフレーズはメディアに受け入れられ、歴史教科書にも掲載されるようになったが、その陰でモンゴル抑留者の存在は歴史から消え去った。井手氏は「言葉が持つ力は、時として罪作りな働きをする」と述べている。
政府のソ連一本槍とモンゴル軽視
戦後処理において日本政府はソ連との交渉に全力を注ぎ、モンゴルは後回しにされた。井手氏の調査によると、政府がモンゴル抑留者の実態調査に乗り出したのは、2018年に井手氏が情報提供を行ってからである。それまで厚労省は現地に職員すら派遣していなかった。
井手氏は「日本政府がソ連政府とだけ懸命な交渉を行っていた間に、モンゴルで命を落とした抑留者がいた」と指摘。モンゴル抑留者の死亡者名簿は1597人分が存在するが、実際の死亡者数はこれを上回るとみられ、約200人の身元が未特定のまま放置されている。
「外蒙古」という蔑称が示す無関心
日本政府はモンゴルを「外蒙古」という蔑称で呼び、その存在を軽視してきた。井手氏は、この呼称が政府の無関心を象徴していると批判する。モンゴル抑留者はソ連の管理下に置かれていたが、日本政府はソ連との関係を優先し、モンゴル側との直接交渉を怠った。
抑留者の一人は「私たちは国家に見捨てられた」と語ったという。井手氏は「国の不作為による冷たすぎる仕打ち」と表現し、政府の対応を厳しく非難している。
厚労省の初動調査と残された課題
2018年6月、井手氏の情報提供を受けて厚労省は初めて職員をモンゴルに派遣。現地調査を開始したが、それまでの長年の怠慢は取り返しのつかないものだ。井手氏は「国家の責務としての『戦後』は終わらない」と述べ、政府に対し身元特定と遺族への補償を求める。
モンゴル抑留の全容解明にはまだ時間がかかるが、井手氏の調査は歴史の闇に光を当てるものとなっている。政府は今後、モンゴル政府との協力を強化し、抑留者の尊厳回復に努めるべきだ。



