京都市伏見区の桂川河川敷で、室町時代の淀城とみられる高い防御性を備えた堀跡が初めて出土し、京都市埋蔵文化財研究所などが30日に発表した。堀は深さ2.1~2.7メートル、幅3.9~5.3メートルで、南北約100メートルにわたって確認された。断面がV字状の「薬研堀」で、出土した土器などから16世紀初頭に造られ、16世紀後半まで利用されたとみられる。
光秀が改修した可能性も
堀は何度も掘り返された跡があり、本能寺の変(1582年)の直後に明智光秀が豊臣秀吉と戦うための拠点とした城などの可能性がある。文献では1504年に「淀の城」が初めて登場し、数々の戦国武将が軍事拠点として利用し、光秀が本能寺の変後に改修した記録も残る。
調査地の約300メートル東には、秀吉が1588年に整備し、側室の茶々(淀殿)が住んだ「淀古城」の推定地がある。今回の調査地で大きな溝や金箔瓦1点も出土しており、秀吉が淀城を活用して整備した可能性もあるという。
専門家「極めて巨大な薬研堀」
中井均・滋賀県立大名誉教授(日本城郭史)は「素掘りの極めて巨大な薬研堀で、記録にある光秀らが利用した淀の城跡とみて問題ない。秀吉の淀古城が、西側に広がっていた可能性があることは驚きで、今後の調査の進展につながる貴重な成果だ」としている。



