1985年4月22日夜、羅臼のハンター・赤石正男のもとに衝撃的な知らせが届いた。根室地方で知らぬ者はいない羆撃ちの名人、高嶋喜作が猟に出たまま戻らないというのだ。高嶋は当時すでに100頭以上のヒグマを仕留め、接近戦を得意とし、ライフルにスコープを付けず照星で照準を合わせる独自の射撃法で知られていた。赤石は高嶋より30歳以上年下だったが、その技量は高嶋も一目置くほどだった。
5年前の失態と高嶋の不安
数日前、2人は中標津の銃砲店でポンシュカリ川の沢筋に生息するヒグマについて会話を交わしていた。赤石が「大きいほうを追う」と言えば、高嶋は「ほかの羆は任せていいかい」と応じ、親子連れの存在も認識していた。高嶋は「デカい羆は必ず下に降りてきた後に上に上がっている」と語り、自らその追跡を買って出た。
赤石は「あの高嶋さんのことだからじきに戻るだろう」と思いながらも、5年前のある事故を思い出していた。当時、高嶋が経営するミンク養殖施設に親子連れのヒグマが繰り返し出没していた。高嶋は息子とともに駆除に当たり、親グマに一発撃ち込んだが、ひるんだ様子もなく突進してきた。高嶋は押し倒され、腕に噛みつかれた。息子が飛びかかって馬乗りになり、その隙に高嶋が頭を狙って撃ち込み、九死に一生を得た。名人にしては珍しい失態だった。
「もしかして、またヒグマにやられたか」――赤石の胸に不安がよぎった。
捜索開始と赤石の選択
翌23日、羅臼町のハンターを中心に30人近い捜索隊が組織され、高嶋が入ったマルクラの沢が捜索された。しかし、標津町のハンターである赤石は捜索には加わらず、数日前に高嶋と話した大グマを追う道を選んだ。数年前から赤石は、春グマ猟の時に同じ場所で休息する大型ヒグマの痕跡を発見していた。トドマツの下の寝床跡や足跡のサイズから、知床最大級と推測された。しかし、そのヒグマは決して姿を現さず、毎年タイミングが合わずにかわされていた。
「仇はとったぞ」――後に赤石はそう語る。高嶋の死を知り、彼は復讐を誓った。高嶋の命を奪ったのは、母グマだった。子グマを守るため、人間に対して極めて攻撃的になる母グマの習性が、名人をもってしても避けられない悲劇を生んだ。
母グマの恐るべき習性
ヒグマの母グマは、子グマを守るために人間に対しても果敢に攻撃を仕掛ける。高嶋は5年前の事故でその危険性を身をもって知っていたはずだが、今回はその習性が命取りとなった。現場には鮮血が飛び散り、20メートル先の藪に高嶋の遺体が横たわっていた。赤石は後に「あの母グマは、子を守るためにあそこに潜んでいたんだ」と振り返る。
高嶋喜作は、100頭以上のヒグマを仕留めた伝説のハンターとして知られ、その死は根室地方のハンターたちに深い衝撃を与えた。赤石はその後も猟を続け、高嶋の無念を晴らすべく、母グマを追い続けた。



