張本勲さん死去、86歳 プロ野球最多3085安打「安打製造機」
張本勲さん死去86歳 最多3085安打の「安打製造機」

日本プロ野球で通算3085本の最多安打を記録し、「安打製造機」として知られた張本勲さんが9日、86歳で死去した。幼少期の被爆体験や貧困を乗り越え、母への恩返しを誓ってプロ野球選手を目指した張本さん。引退後も、球界のご意見番としてお茶の間で人気を博した。

苦難の幼少期、母への恩返しを胸に

幼少期の張本さんは苦難の連続だった。4歳の頃、事故で利き手の右手をたき火につっこみ、大やけどを負って、小学校6年の時に左投げに転向した。5歳の時には原爆の投下により自宅で被爆。父は戦後まもなく、帰国していた韓国で亡くなり、韓国人の母は、日本語がほとんど話せない中、ホルモン焼き屋の経営で家計を支えた。

苦しい生活のなか、近所の人からの誘いをきっかけに小学生で野球を始めた。「母にいい暮らしをさせたい。おいしいものを腹いっぱい食べたい」。そんな思いでプロ野球選手を目指し、中学時代、夜8時頃から古いタイヤをバットでたたき続けた。

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プロ入りから3000安打達成まで

大阪の浪華商(現大体大浪商)時代、力強い打撃がプロ野球関係者の目に留まり、東映(現北海道日本ハム)に入団。「広角打法」と呼ばれるコースに逆らわない打撃が特徴で、1967年から70年にかけて4年連続で首位打者を獲得した。70年には当時の最高打率3割8分3厘4毛をマーク。39歳だった80年5月には川崎球場での阪急(現オリックス)戦で本塁打を放ち3000安打を決めた。

球場には苦労をかけた母も駆けつけ、記念の一打をともに喜んだ。イチロー選手は日米通算4367安打を記録しているが、現在も3000本安打を日本のプロ野球で達成しているのは張本さんだけだ。

読売巨人軍の後輩にあたる米大リーグ、ロッキーズの菅野智之投手(36)は「何度かお会いして、激励の言葉をいただいたことも、褒めていただいたこともある。本当に残念な気持ちです」と悼んだ。

被爆体験を語り続けた晩年

引退後は、プロ野球解説者として、TBS系の「サンデーモーニング」に出演。辛口のコメントで球界のご意見番として知られた。

20年ほど前からは、メディアなどを通じ、被爆体験や平和への思いを積極的に語ってきた張本さん。5歳の時、外で遊ぼうと家を出たところ、まぶしい光と「ドーン」という音がし、15分程気絶した。気付くと血まみれになった母親の腕に抱かれていたという。6歳年上の姉は爆心地近くで巻き込まれ、犠牲となった。

被爆者団体の全国組織「日本原水爆被害者団体協議会(被団協)」が2024年にノーベル平和賞を受賞した際には、「この賞で、ようやく世界に向けて被爆の現実を発信してもらえると思う。私個人も最後のメッセンジャーとして、これからも戦争の悲惨さを語っていきたい」とコメントした。

被団協の箕牧(みまき)智之代表委員(84)(広島県北広島町)は「人をひきつける特別な力がある人。もっと被爆体験を語り、核廃絶を訴えてほしかった。亡くなったのは寂しい」と悼んだ。

箕牧さんの高校の担任が、張本さんが通っていた中学から異動してきた先生だったといい、「張本さんのことを努力家と言っていたのを覚えている。被爆で健康に不安を抱えながらも、3000本以上のヒットを打って活躍した根性の人だった」と話した。

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