法医学者がご遺体の解剖から明らかにできるのは、単なる死因だけではない。これまで約6000体の解剖を手がけてきた東北医科薬科大学教授の高木徹也氏は、「いつ、どのように亡くなったか、さらにどんな地域に住み、何の仕事をしていたかまで推測できる」と語る。本稿は、高木氏の著書『私たちはなぜ死ぬのか 法医学者が語る「永く、よく生きるための技術」』(CEメディアハウス)の一部を再編集したものである。
解剖からわかる死因以外の情報
法医学者が日々行う解剖では、死亡した状況や時期など、死因以外の多岐にわたる情報が得られる。高木氏は「誤解を恐れずに言えば、法医学は広範囲の知的好奇心を刺激してくれる学問です」と述べる。死因究明には医学知識だけでなく、生物学、物理学、地学、社会学などが関わり、時代のトレンドにも通じていることが求められるという。
交通事故の解剖から車種を特定
例えば、交通事故で亡くなった方の解剖では、衝突した車の車種が推定できることがある。日本には多様な形状の自動車が存在し、車高の高いSUVや低いスポーツカー、バンパーが突出した車、前面が平らなバスやトラックなどがある。高木氏は「下から60センチの高さにぶつかった跡があれば『SUV系かな』と推定できます。膝と顔に同時にできた傷があれば『トラックかバスかな』と考えられます」と説明する。
殺意の有無も推測可能
車種が特定されている場合、バンパーが当たった位置と車のバンパーの高さを比較することで、事故の状況や加害者の意図を推測できる。通常、ブレーキをかけると車の前面が沈み込むため、もし傷がバンパーの高さより低ければ、加害者がブレーキを踏んだ可能性が高い。逆に傷が高い位置にあれば、加速して衝突した可能性が示唆され、殺意の有無も検討対象となる。高木氏は「こうした所見が加害者の発言の嘘や矛盾を明らかにすることもあります。のちの裁判にも関わるため、小さな所見も絶対に見逃せません」と強調する。
過去の居住地域や職業の特定
解剖からは、故人がどこで生活していたかも想像できる。例えば、肺の組織に特定の粉じんが沈着していれば、農業従事者や建設現場で働いていたことがわかる。また、皮膚の日焼けのパターンや虫刺されの痕跡から、都会育ちか田舎育ちかを見分けることも可能だという。高木氏は「ご遺体をみれば『病院嫌い』もわかります。未治療の疾患が放置されていた痕跡が残っているからです」と述べる。
臨床医ではわからない異状死体の痕跡
臨床医が診断する病名とは異なり、法医学者は異状死体に残された微細な痕跡を読み解く。例えば、内出血の形状や骨折のパターンから、暴行の有無や使われた凶器の種類を推定できる。高木氏は「解剖は緊張の連続ですが、はじめはわからなかった真実が明らかになる瞬間にはやりがいを感じます」と語る。
法医学の社会的意義
法医学の知見は、事件の真相解明だけでなく、予防医学や安全教育にも役立つ。高木氏は「死因を正しく把握することで、同じような悲劇を防ぐための対策を立てることができます」と指摘する。解剖から得られる情報は、遺族の疑問に答え、社会の安全に貢献する重要な手がかりとなる。



