旧陸軍軍曹の日記407日分初公開、妹の手記も…大分市歴史資料館で企画展
旧陸軍軍曹の日記407日分初公開、妹の手記も…大分市歴史資料館で企画展

太平洋戦争中に中国大陸へ出征し、20歳代前半で戦死した旧日本陸軍の兵士が、日々の任務や心の揺れ動きを克明につづった407日分の日記などが、大分市歴史資料館の企画展で初公開されている。兵士の死後、遺品として受け取った妹が余白に兄を追慕する思いを書き記した手記もあり、同館の高畠豊館長(60)は「戦地に赴き戦った人やその家族が書き残してくれた本当の声が記録された貴重な資料だ」と評価している。10月5日まで。(池田圭太)

日記は1943年元日から

日記は、大分市にルーツがある旧陸軍軍曹・菊川忠司さんが書き記したもので、満州(現中国東北部)の航空部隊に所属していた1943年元日の「一月一日 晴 大東亜決戦下第三年度 即(すなわ) ち皇紀二千六百第三年度の光輝ある新春を 向(むか) へり」という文言から始まる。

高畠館長によると、菊川さんは44年2月12日、中国南東部で任務中に戦死しており、日記は亡くなる前日まで毎日書かれている。最後の日は敵機を撃墜した仲間の戦功に触れ、「前は長し、功を焦らず慎重に頑張らん」と決意が記されている。

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心の葛藤と父母への思い

同館によると、菊川さんは39年、旧陸軍少年飛行兵として東京陸軍航空学校(のちの東京陸軍少年飛行兵学校)に入校。卒業後、大刀洗陸軍飛行学校などを経て42年2月に満州の航空部隊に配属された。43年7月から中国・広東へ移り、米軍との戦闘に従事した。

「何故(なぜ)か、心 何処(どこ)かに臆しありも少し強く生きんとぞ思ふ」(1943年2月13日)、「本日は何故か『センチメンタル』な気分に襲はる」(同23日)――。日記には弱気をのぞかせる言葉の一方で、「吾々(われわれ)の目的は唯(ただ)『死』の一字に非(あら)ずや」(同5月24日)、「名誉も命も欲せず、玉となりて砕けむこと、武夫の本懐ならむや」(同6月25日)と自らに言い聞かせるかのような言葉も。

久しぶりに日本本土に戻る前日の43年11月21日には、日本が植民地化していた朝鮮半島で暮らす両親を思い、「何(な)んとかして父母に会ひ度(た)いものだが生憎(あいにく)朝鮮では……。何んとかして会ひ度い」と記されていた。

妹の手記と企画展の概要

日記は2008年、菊川さんの親族が同館に寄贈したが、収蔵庫に保管されたままだった。今年5月、戦争の企画展に向けて所蔵品の整理を進める中で、高畠館長らが日記を読み込んだところ、当時の実情を把握できる内容だったことが分かった。

寄贈されていた資料は日記2冊と、訓練内容を書き留めた「操縦手簿一式及二式」の計3冊。その操縦手簿の余白に、菊川さんの死後、妹(故人)がしたためた手記が残っていた。「この兄の日記を読んで、どんなに泣いたでしょう。兄の戦死の報(しら)せを聞いた時より泣きました」「きっときっとお兄ちゃんの思っていた、純情な心のやさしくて綺麗(きれい)な、少女になりますとお誓いしたのです」と記されている。

高畠館長は「日記には前線の実態が描かれ、軍事研究の面でも価値があると思われる。妹の手記もあり、記録として厚みがある。記憶の継承に役立てたい」と話している。企画展は午前9時~午後5時。今月24、28日は休館。観覧料は一般310円、高校生150円、中学生以下無料。問い合わせは同館(097・549・0880)へ。

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