「原爆を許すまじ」作詞の94歳、悲しみと怒りを込めて 70年歌い継がれ核廃絶訴え
「原爆を許すまじ」作詞94歳、核廃絶訴え70年

全国の被爆者の間で70年以上歌い継がれてきた曲「原爆を許すまじ」の作詞者、浅田石二さん(94)が読売新聞の取材に応じ、「原爆で無差別に殺された悲しみや怒りを歌詞に込めた」と語った。被爆81年を前に、曲は国内外に広がり、今なお核廃絶を訴えている。

ニューヨークで合唱、被爆者の思いを象徴

核拡散防止条約(NPT)再検討会議の開幕を控えた4月26日、米ニューヨークの街に「原爆を許すまじ」が響き渡った。合唱したのは、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)の被爆者や高校生ら約300人。被団協事務局次長で元音楽教員の金本弘さん(81)は「音楽は世代や言語の壁を越え、原爆に関心を寄せてもらえる良い入り口になる。被爆者の思いを象徴した団歌とも言える大切な曲だ」と語った。

作詞の経緯、峠三吉の詩集に衝撃

浅田さんは1932年に東京都で生まれた。高校卒業後、地域の文化サークルで創作活動を本格化させた。広島にゆかりはなかったが、20歳の頃、広島で被爆した詩人・峠三吉の詩集を手に取り、衝撃を受けた。無残な姿で人が死んでいく描写を泣きながら何度も読み返したという。

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1954年3月、米国の水爆実験でマグロ漁船が被曝した「第五福竜丸事件」が起き、東京でも反核運動が盛り上がった。サークル仲間だった作曲家で高校教諭の木下航二さんから作詞を依頼され、「被爆地の痛みを共有する日本人の一人として悲しみを帯びた怒りを表現した」と約3か月かけて4番まで書き上げた。作曲は木下さんが担当した。

歌い継がれる理由、次世代への願い

完成した曲は1954年8月に広島で開かれた国鉄労組系の音楽大会で歌われ、全国に広がった。東西冷戦の激化もあり、英語やロシア語に翻訳され海外でも歌われるようになった。浅田さんは「被爆者ではない自分が原爆を語ってしまった」と後ろめたさを感じていたが、峠三吉の妻に謝罪すると「よくぞ作って下さいました」と言われ、肩の荷が下りたという。

曲は70年以上歌い継がれているが、それは「三度目」の脅威が消えずにいることの裏返しでもある。浅田さんは「残念で悲しいこと」と漏らしつつ、「被爆者は高齢化し、残された時間は少ない。次世代の人たちに曲が生まれた意味を知ってほしい」と願う。

原爆テーマの音楽作品は1800曲以上

市民団体「ヒロシマと音楽」委員会の調査では、原爆をテーマにした音楽作品はプロ・アマ問わず1800曲以上ある。委員会メンバーの能登原由美・大阪音楽大特任教授によると、戦後の日本はGHQの占領下で原爆に関する表現が規制されていた影響で、原爆への怒りや悲嘆を表現する作品はほとんど確認されていない。主権が回復した1952年以降、「原爆を許すまじ」を筆頭に反核を訴える作品が増え、美輪明宏さんの「ふるさとの空の下に」(1965年)など被爆者による作品も生まれた。近年は、広島の小学生が作詞・作曲した「アオギリのうた」(2001年)や、被爆2世で歌手の福山雅治さんの「クスノキ」(2014年)など、被爆樹木を題材とした作品も目立つ。能登原氏は「学校現場で歌われている作品も多い。子供たちも作詞者の思いを想像しながら、平和について考えてほしい。それが継承につながる」と話した。

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