ハンセン病の絶望乗り越え、誤った政策で家族と離れ療養所で過ごした山城清重さん、故郷・島根で語り部活動を続ける
ハンセン病の絶望乗り越え、誤った政策で家族と離れ療養所で過ごした山城清重さん、故郷・島根で語り部活動を続ける

父に起こされ、渡し舟で療養所へ

山城さんは11人きょうだいの七男として生まれた。記憶は小学4年の秋にさかのぼる。午前4時ごろ、「旅行に行く」と父に起こされ、自宅から1時間以上歩いて江の川の岸へ。渡し舟で対岸に向かうと、白衣を身につけた人たちがいた。何も聞かされないまま、カーテンで外が見えないワゴン車に乗り込んだ。

向かった先は、岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」だった。少年舎などで生活を送り、園内の小中学校に通った。親族が面会に来る人もいただけに、山城さんも「会いに来てくれるだろうか」と期待した。だが、思いは届かず、「捨てられた」と、いつしか親を恨むようになった。

養子に出て、先に入所していた実兄から「ここから一生出られない」と言われた時は、人生に絶望したという。ある日の早朝、自ら命を絶つ人が立ち入るとのうわさがあった崖に向かったが、別の入所者に声を掛けられて我に返った。

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病気を隠し、京都で働く

徐々に、入所者でつくる自治会の活動などにも携わるようになった。退所し、社会復帰した先輩のつてを頼って京都のパチンコ店で働き始めたのは19歳の時だった。最初の5年間は「病気が知られたら雇ってもらえないようになる。田舎にも帰れないし、家族にも迷惑がかかる」と病気のことを伏せ、後遺症が残る顔はいつもマスクで隠していた。風邪や腹痛などを患っても市販薬でしのぎ、病院へ行くことも避けた。

パチンコ店では、負けた腹いせに客から「何でお前の顔はゆがんでいるねん」と心ない言葉を浴びせられた。一方で「障害があるからと言って何が悪い」とたんかを切ってくれた別の客とは、のちにマージャン仲間になったという。

ハンセン病関西退所者原告団「いちょうの会」に入り、訴訟の応援や手伝いに加わるようになると、自身の考えも変わっていった。「苦しみを抱えて生活をしているのは自分だけじゃない。家族も同じだったんだと」。父親へ抱いていた恨みも、「立場があるから一概に責められない。自分が年を重ね、周りのことも理解できるようになった」と振り返る。

半世紀以上ぶりの故郷

関西を中心に教員や看護学生、小中高生らに語り部活動を始めたのは、2016年に熊本地裁で元患者家族が国に謝罪と損害賠償を求めた訴訟の応援などに参加していた2017年頃からだ。家族への複雑な思いから、「島根には絶対に帰らない」と決めていたが、2019年、関係者の縁で声がかかった島根での語り部活動に合わせ、半世紀以上ぶりに故郷の土を踏んだ。

再会した兄の勇さん(88)から「どこにいるか、いつもキヨのことを心配していた」との言葉があった。山城さんは「人生で経験した一番の感動だった」と話し、わだかまりは消えた。

故郷での講演に力を込める

今年4月中旬、山城さんは出雲市の県立大出雲キャンパスを訪れ、県内6回目となる語り部活動を行った。看護師を目指す看護学科1年の学生たちに自身の体験を伝え、「人生色々あると思うが、勉強をして障害のある方を助けてあげてほしい」と語りかけた。

7月に大田市で開かれた7回目の講演後、山城さんは「古里でやるのは特別で力が入る。これからも、みんなと力を合わせ、壁を突破していきたい」と力を込めた。

ハンセン病とは

ハンセン病はらい菌による感染症の一種。発症すると手足などの末梢神経がまひするなどの症状が出るが、感染力は弱く、人へはうつりにくい。治療薬の開発後も、国が1996年に「らい予防法」を廃止するまで患者隔離政策を続けたことで、差別や偏見を生んだ。

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厚生労働省によると、全国にある国立療養所(13施設)の入所者は5月1日現在551人で、平均年齢は89.2歳。