大河ドラマ「豊臣兄弟!」(NHK)では、織田信長(小栗旬)による家臣のリストラ劇が描かれている。経営史学者で系図研究者の菊地浩之氏によれば、信長は19カ条に及ぶ折檻状を突きつけ、53歳の古参家臣・佐久間信盛を追放。当時、明智光秀はさらに上の66歳前後だったという。
佐久間・林・安藤が追放される
大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、織田信長による重臣たちの追放が描かれる。リストラ対象は、古参の家臣・佐久間信盛(菅原大吉)と林秀貞(諏訪太朗)、さらに安藤守就(田中哲司)、丹羽氏勝。史実では天正8(1580)年に信長によって追放された。安藤は小一郎(仲野太賀)の妻・慶ちか(吉岡里帆)の実父という設定で、ドラマではその関係が絡む可能性がある(史実では小一郎の正室の出自は不明)。
公開されたリストラ理由
佐久間信盛を追放するにあたり、信長は19カ条に及ぶ折檻状を突きつけた。『信長公記』に記述があり、私信というより「公開処刑」だった。信長は意外にも世評を気にする人物で、足利義昭に対する17カ条の異見書も公家や僧侶の日記・軍記物に写しが複数残されており、自らの正統性を広く知らしめていた。信盛に対しても「オレが気まぐれに追放したのではない。あいつが悪い」という理由を具体的に19条羅列したと菊地氏は指摘する。
高齢者整理の実相
追放された4人の共通点は高齢だったことだ。安藤守就(1503年生まれ)は77歳、林秀貞(1513年生まれ)は67歳、丹羽氏勝(1523年生まれ)は57歳。佐久間信盛(1527年生まれ)はやや若く53歳だった。追放の要因には諸説あるが、佐久間信盛の追放を機に、あまり使えない高齢者を退職させたのが実相ではないかと菊地氏は考察する。
ちなみに、4人以外の高齢者としては明智光秀がいる。光秀の生年には諸説あるが、比較的信憑性が高いとされる『当代記』で享年は「歳六十七」(数え年)との記述があり、逆算すると1516年生まれで1580年時点では満66歳となる。光秀はこのときリストラされず、信長にこき使われているが、身の危険を感じても不思議ではないだろう。
信盛は無能なのになぜ出世できた?
佐久間信盛は天正4(1576)年から石山本願寺攻めの総大将を命じられ、7カ国(尾張、三河、近江、大和、河内、和泉、紀伊)の与力を付けられたが、攻防は遅々として進まず、結局天正8年に信長が天皇を動かして和睦に持ち込んだ。信長は軍勢の多い方が合戦に勝つという合理的な考えの持ち主で、大軍を預けて成果を出せない佐久間に失望したらしい。19カ条の折檻状の1条目には「一、佐久間信盛・信栄父子、五年間、天王寺に在城したが、その間、格別の功積もなかった。これは世間で不審に思われても仕方がない。信長も同感であり、弁護する余地もない」(『現代語訳 信長公記』)と記されている。
リストラ後の佐久間家
佐久間信盛追放後、その子・信栄も共に追放された。佐久間家は一時没落するが、後に信栄の子が徳川秀忠の話し相手として仕えるなど、完全に断絶したわけではない。菊地氏は「現代の出世競争にも似た顛末」と評している。
現代にも通じる人事異動
信長のリストラは、現代企業の人事異動にも通じる側面がある。菊地氏は「信長は合理的な判断で、成果を出せない古参を切った。その厳しさは、現代の経営にも参考になる」と述べている。大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、こうした信長の人事が秀吉兄弟の台頭とどう絡むかが注目される。



