四条天皇、12歳で逝去…仕掛けていたずらが招いた転倒事故と皇統分裂の波紋
四条天皇、12歳で逝去…いたずらが招いた転倒事故と皇統分裂

仁治3年(1242年)正月7日、朝廷では白馬節会がおこなわれる予定だった。毎年この日には21頭の白馬を紫宸殿の前庭に引き出し、天皇が毛並みを見た後、宴会が催される。白馬を見ると年中の邪気を払うことができるとされていた。

しかし、この年の白馬節会に時の四条天皇は出座しなかった。『百練抄』によると「不予(不快)により出席しなかった」とある。その2日前、天皇は「渡殿ニ於テ顚倒アラセラル」と記録されており、渡り廊下でひっくり返っていたのだ。

四条天皇は白馬節会から2日後の正月9日、この転倒がもとで亡くなった。おそらく頭を強打したのが原因とみられる。まだ12歳の少年だった(数え年で、満年齢では10歳ぐらい)。

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四条天皇の後継者選びに難航

四条天皇の死後、朝廷は後継者選びに苦しむことになる。後堀河天皇の一人息子だった四条天皇が後継者を残さずに亡くなったため、近親者に皇統を継ぐべき皇族がいなかったのだ。

この混乱は、結果的に皇統を分裂させることにつながった。後嵯峨天皇の即位から、持明院統と大覚寺統の「玉座」争いが生じ、天皇家は長く対立することになる。

もし四条天皇がスベって転ばなければ……

歴史作家の河合敦氏は、『日本史人物 死ぬほど痛いかすり傷』(三笠書房)でこの出来事を紹介している。四条天皇のいたずらが招いた事故が、その後の皇統の行方に大きな影響を与えたと指摘する。

もし四条天皇が転倒しなければ、皇統の分裂は避けられたかもしれない。しかし、歴史はその「かすり傷」によって大きく動いたのである。

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