天皇制をめぐる開かれた議論の欠如
今国会での皇室典範改正審議を機に、天皇制に関する多角的な論議が続いている。明治大学名誉教授で法学者の瀬木比呂志氏は、著書『法律家が見た日本社会の病理「空気」を打ち破る個と論理の構築へ』(KADOKAWA)の中で、天皇制の現状に鋭く切り込んでいる。同氏は「日本の天皇・皇族の基本的人権や個人としての生き方、人間の尊厳が真に尊重されるようになれば、日本人全体のあり方も変わっていく」と主張する。
瀬木氏はまず、天皇制に関する開かれた報道や議論が依然として不十分だと指摘する。記者たちから「記者にとってのタブーの一つは、今も昔も天皇制ですね」との言葉を聞いた経験を明かし、制度としての天皇制を客観的に論じる風土が欠けていると批判する。例えば、国家の制度全般を論じるならば、天皇制も「国民の総意に基づくべきものであり、改革はもちろん、状況が変われば廃止もありうる」という一般論が適用されるべきだが、右派の人々はこの前提自体に強い反発を示すと述べる。その背景には、戦前の天皇制イメージやイデオロギーの残滓があると見ている。
戦後天皇は「人間」になったのか
本稿の核心は、「戦後の天皇は本当に『人間』になったといえるのか?」という問いかけにある。瀬木氏は、法律論の観点からこの問題を考察する。ある国家の民事裁判権は、原則としてその主権の及ぶ範囲にいるすべての人に及ぶ。学界の通説では、天皇についても例外ではないとされてきた。しかし、最高裁は1989年(平成元年)11月20日、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であるから、天皇には民事裁判権が及ばないと判断した。
瀬木氏はこの判例に疑問を呈する。天皇も私法上の権利主体となりうる(権利能力、当事者能力がある)と考えるなら、象徴性を理由に民事裁判権を否定するのは法的に矛盾していると指摘する。最高裁の判例は被告の場合についての事案だが、裁判権が及ばない以上、論理必然的に原告としての適格性も否定されることになる。つまり、天皇は名誉毀損などの不法行為の被害者になっても、裁判所に訴えて自らの権利を守ることができない。国民の基本権の一つが保障されない事態が生じていると警鐘を鳴らす。
「人間以上」の存在と人権軽視
瀬木氏は、天皇が「神に近い部分もある」という含みを持たされ、同時に「人権軽視」の扱いを受けていると指摘する。皇族は「品位のない冗談の種」にされることもあり、その人権が十分に尊重されていない現状を批判する。例えば、「日の丸を出すと右翼と思われちゃう」といった社会の空気も、天皇制をめぐる議論の萎縮に拍車をかけていると述べる。
同氏は、三島由紀夫や山本七平らが示した天皇制への言及を引き合いに出し、天皇といえども一人の人間であるという視点の重要性を強調する。山本七平は『日本人の人生観』(講談社学術文庫)で「天皇制を含め、どんな制度や体制もいつかは終わる」と明確に述べており、瀬木氏はこの立場を支持する。
「天皇の人権」尊重が変える日本社会
瀬木氏は、人間として目覚めていく皇帝や王女の姿に触れ、天皇の人権が尊重されることで日本人全体のあり方も変わると展望する。皇族が個人としての尊厳を認められ、基本的人権を享受できるようになれば、日本社会の「空気」を打ち破る契機になると主張する。本稿は、制度論としての天皇制を冷静に論じる必要性を訴え、今後の議論の深化を促す内容となっている。



