「弱腰」批判は外交への理解欠く 金沢工大大学院教授、元海将・伊藤俊幸氏が論じる
「弱腰」批判は外交への理解欠く 元海将・伊藤俊幸氏

米トランプ政権は8月18日、国際刑事裁判所(ICC)の赤根智子所長を制裁対象に指定した。日本政府は翌19日「大変残念」と表明し、高市早苗首相は25日、「日本の立場と相いれるものではなく、大変深刻に受け止めている」と表現を強めた。首相はまた、指定前に米側へ制裁の見合わせを要請していたことも明らかにした。

それでも「自国民が制裁されたのに『残念』か」「欧州に比べ弱腰だ」との批判は根強い。しかし、こうした議論には外交実務への理解が欠けている。外交の強さは声明の語気ではなく、相手国を実際に動かせるか否かで測るものだ。

在米大使館は日本政府の縮図

私はかつて在米日本大使館で防衛班長を務めた。そこで痛感したのは新聞やテレビに映る首脳会談や外相会談は、外交活動のごく一部にすぎないということである。

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ワシントンの日本大使館は特別な公館だ。外務省の職員は一部にすぎず、多くは財務省、経済産業省、法務省、防衛省、警察庁など行政府各省庁からの出向者で構成され、さらに司法府と立法府からも裁判官や事務官などが派遣されている。つまり行政・司法・立法にわたる三権の役所全てが、あの建物内に集約されているのだ。

そしてこの各省庁からの出向者は、それぞれ米国の対応する機関の事務次官以下の官僚と日常的なカウンターパート関係を築いている。今回の制裁は大統領令に基づき「国務省」と「財務省」が指定し、資産凍結を実際に執行するのは財務省の「外国資産管理室(OFAC)」である。人権団体が起こした制裁撤回訴訟では「司法省」が政府側に立ち、大統領令の権限の根拠となる法律を握るのは「連邦議会」だ。それぞれの案件に向き合う日本側の担当者は、すでに大使館に存在している。

首相や外相が方針を示せば、外務省本省から訓令が発せられ、大使館の各班がそれぞれの相手に日本の立場を伝え、反応を探り、本省へ報告する。それを集約して次の判断につなげる。これが日々の外交実務であり、大半は公表されない。だから公開発言だけを捉え「政府は何もしていない」と断じるのは早計だ。

変わったのは日本でなく米国

「日本は米国とICCの板挟み」という説明も正確ではない。日本がICCへの加盟を決めたのは2007年、第1次安倍晋三政権の時だ。政府はこれを「法の支配」を推進する「価値の外交」の一環と位置づけ、以後、財政面でICCを支え、齋賀富美子、尾﨑久仁子、赤根智子の3氏を裁判官として送り出してきた。赤根氏の所長就任は約20年に及ぶ日本のICC外交の延長線上にある。

一方、米国は日本の加盟時からローマ規程(ICCの設立条約)の非締約国であり、自国民に管轄権が及ぶことに強く反対していた。日本はそれを承知の上で、日米同盟を安全保障の基軸としながらICCを支える、ことを両立させてきた。

変わったのは米国である。非締約国が管轄権に法的異議を唱えること自体には国家主権上の論理がある。しかしトランプ政権はそこから一歩踏み出した。第1次政権は20年に検察官を制裁し、第2次政権はそれを裁判官にまで拡大した。「ICCの判断に反対する」ことと「その判断に携わる司法官を国家権力で制裁する」ことは別問題である。日本が引くべき一線はここだ。

赤根所長自身も8月26日の会見で、日本が米国と対話を重ね、行動がエスカレートしないよう働きかけることに期待を示した。日米同盟という日本独自の外交資産を使って、米国に働きかけることである。そして外交の目的は、最終的に米国の行動を変えることにある。

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「弱腰」か結果で判断を

私は自衛官として34年、日米同盟の現場に身を置いた。同盟とは相手の判断をすべて支持する関係ではない。誤っていると考えれば率直に伝え、それでも壊れない関係こそ真の同盟である。だから日本は米国に明確に伝えるべきだ。非締約国国民への管轄権に法的異議を唱えることには議論の余地がある。しかし、その異論を司法官個人への経済制裁で実現しようとすることには反対する、と。

事前の見合わせ要請は通らなかった。ならば今後の評価基準は明確である。制裁の拡大を阻止できるか、そして最終的に撤回させられるか、である。

高市政権を無条件に評価するつもりはない。今後、米国への働きかけが止まり「大変残念」という言葉だけが残るなら、その時こそ厳しく批判すべきだ。しかし現段階で欧州より語気が弱いというだけで「弱腰」と断じるのは浅い。見るべきは、首相や外相がテレビの前で何と言ったかではない。本省から在米大使館の各班に至る日本の外交機構全体がどう動き、米国に何を伝え、その行動をどこまで変えられるかである。07年に掲げた「価値の外交」が、いま現実の外交として試されている。外交の強さとは声明の形容詞ではない。相手を実際に動かす力なのである。