イスラエル政治の右傾化は、2009年の総選挙で「アラブ人追放」を掲げる極右勢力が約20年ぶりに国会の議席を得たことで加速した。郵便学者の内藤陽介氏は、過激勢力をコマとして利用していたネタニヤフ首相も次第に右派世論に迎合し、政界全体の右傾化が進んだと指摘する。
イスラエルで生まれた極右政党
イスラエル撤退後のガザでは、PLO主流派のファタハとハマスの間で流血衝突が頻発。2007年6月11日以降、ハマスがガザ地区を占拠し、両者の対立は事実上の内戦へと発展した。同14日、アッバースは非常事態宣言を発令し、ハニーヤを解任。6月17日、元世界銀行副総裁のサラーム・ファイヤードを首相に任命し、ハマスを除外した非常事態政府を樹立した。これに対しハニーヤは解任を拒否し、ハニーヤ内閣こそ正当政府と主張したため、パレスチナは西岸地区とガザ地区に事実上分裂した。
こうした中、2007年11月、アリエ・エルダドは世俗派の極右政党「ハティクヴァ(希望)」を結成。ハマスがガザを実効支配し、PLO/ファタハの統制が及ばなくなったことに対し、イスラエル国内では「ガザ撤退は失敗だった」との世論が急速に拡大。ハティクヴァは、2010年11月の総選挙を見据え、大イスラエル主義を掲げる極右勢力の受け皿となることを目指した。
狙いすまされたガザ侵攻のタイミング
ガザの実効支配者となったハマスは、2008年6月19日、エジプト仲介でイスラエルと6カ月間の停戦協定を結んだが、断続的な衝突が続き、イスラエルはガザを封鎖。停戦期間中の11月4日、イスラエルはハマスのテロ攻撃を停止させるためガザ中部に侵攻。ハマスが応戦し、停戦延長は絶望視された。
12月に停戦期限が迫ると、エジプトが延長を仲介したが、ハマス側は封鎖解除に応じないことを問題視し延長を拒否。12月19日に協定は失効した。2009年2月にイスラエル総選挙が予定され、対パレスチナ強硬派の野党・リクードが支持を拡大。与党・カディマも弱腰姿勢を見せられない状況だった。さらに、選挙直前の2009年1月20日に「敵との対話」を掲げるオバマ政権が発足すれば、米国がイスラエルに大幅な譲歩を迫る可能性が高いとみられた。
そこで、停戦失効後、オバマ政権発足までのタイミングをはかり、2008年12月27日、イスラエルはガザ全域に大規模な空爆を開始。2009年1月3日には大規模な砲撃の後、歩兵、戦車、砲撃隊が侵攻し地上戦に。1月17日、イスラエルは一方的に「停戦宣言」を発し部隊を撤収。ハマスも戦闘を停止した。



