政治・経済・投資の分野で、社会保障の現物給付が増えると「負担増」という通念にさらされる現代。しかし、真に考えるべきは負担によって何が提供されているかだ。本稿では、社会保険料の重さを訴える人々に知ってもらいたい事実を、慶應義塾大学商学部教授の権丈善一氏が解説する。
社会保障の給付は現金と現物で成り立っている
社会保障の給付は現金給付と現物給付で構成される。現金給付を重視するか現物給付を重視するかは、社会保障論における古典的な論点だ。選択の自由を重視するミルトン・フリードマンは現金給付の価値を高く評価し、一方でトマ・ピケティは教育や医療などの社会的共通資本へのアクセス保障を重視する。その中間に位置するのがアンソニー・アトキンソンであり、児童貧困削減のための児童手当や最低賃金の重要性を説いた。
社会保障の議論では「負担が重い」という話がよく聞かれるが、その負担によって何が提供されているのかという視点は軽視されがちだ。今年1月の大学共通テストでは、各国の社会保障財源の対GDP比を示す表を基にした問題が出題されたが、そこでも負担の側面のみが問われ、給付の内容には踏み込んでいなかった。
「五公五民」と言う人が見ていないファクト
近年の国民負担率をめぐる議論では、2021年度の日本の国民負担率48%という数字だけが取り上げられ、「五公五民」という言葉が飛び交った。しかし、江戸時代の五公五民とは異なり、現代の政府は児童手当や保育サービス、医療、遺族年金、高齢者への年金など、家計の必要に応じた現金給付や現物給付を大規模に提供している。ピケティも指摘するように、社会保障という再分配政策は負担率だけで評価できるものではなく、給付と負担を一体として捉えるべきである。
ルクセンブルクの87%、フランスの68%など、日本の国民負担率よりはるかに高い国々が多数存在する中で、日本の48%だけを切り取って「五公五民」と語ることは、負担と給付を一体として捉える社会保障教育の敗北を物語っている。



