お腹を下すと思い出すのは、オレンジ色のパッケージに赤いラッパのマークだ。薬箱を開けた瞬間に広がる、焦げた木材と薬草が混じった独特な臭い。大幸薬品が製造・販売する「ラッパのマークの正露丸」は、長い歴史を持つ止瀉薬(下痢止め)だ。大幸薬品の名前は知らなくても、「お腹のトラブルといえば正露丸」といった認知度は高い。
正露丸は1社だけの製品ではない
しかし、実はこの「正露丸」、ラッパのマークだけではないことをご存じだろうか。薬局には、オレンジ色の箱に赤字で「正露丸」と書かれた、見慣れたパッケージが並ぶ。しかしよく見ると、それぞれ微妙にデザインが異なっている。文字の上のロゴも違う。「正露丸」は大幸薬品だけでなく、複数の企業が製造しているのだ。
競合製品との「差別化」の歴史
「ラッパのマークの正露丸」の歴史は、他社商品との差別化の歴史でもあった。正露丸の歴史は、明治時代にまでさかのぼる。1902年に大阪の中島佐一薬房が、大阪府から「売薬営業免許の証」を取得し、製造販売したことから始まった。当時の商品名は、「忠勇征露丸」。2年後に勃発した日露戦争で、「征露丸(ロシアを征する薬)」として日本軍に配布されたという話は、広く知られているだろう。
戦場での万能薬として
当時は胃腸だけでなく、肺結核、肺炎、喘息、口腔病などさまざまな効能をうたっていた。大幸薬品の資料によれば、「日露戦争当時軍医であった森鴎外らによって、服薬が勧められたといいます。当時の戦場では、実際の戦いよりも食あたりや下痢、脱水で病死する兵士が多かったことから、『胃の消毒薬』として取り入れられていました。当時は『過酷な状況下での万能薬』のように思われていたようです」と説明されている。
臭いとの闘い
しかし、その強烈な臭いは「軍人でさえ嫌がる臭さ」と言われるほどだった。戦後、正露丸は一般家庭にも広まったが、独特のにおいが敬遠されることもあった。大幸薬品はこの課題に直面し、1950年代に「糖衣A」というコーティング技術を開発。しかし、当初は「においがあるから正露丸」と消費者に受け入れられず、販売は伸び悩んだ。
CMで刷り込まれた「ラッパのマーク=正露丸」
そこで大幸薬品は、ラッパのマークを前面に押し出した広告戦略を展開。テレビCMなどで「ラッパのマークの正露丸」を繰り返し訴求し、消費者にブランドを刷り込んだ。この差別化戦略が功を奏し、現在では多くの人が正露丸といえばラッパのマークを連想するようになった。
現在も続く進化
「ラッパのマークの正露丸」は、80年にわたり家庭の常備薬として親しまれてきた。現在も大幸薬品は、製法の改良やパッケージデザインの刷新を続け、時代に合わせた進化を遂げている。競合製品が存在する中で、ラッパのマークという独自のアイデンティティを確立したことが、長年にわたるヒットの要因と言えるだろう。



