ミズノ創業120年、水野社長が語る「ええもん」の精神と挑戦の歴史
ミズノ創業120年、水野社長が「ええもん」の精神語る

スポーツメーカー「ミズノ」(本社・大阪市住之江区)が今年4月、創業120周年を迎えた。創業者・水野利八の言葉「ええもんつくんなはれや」の精神に基づき、野球やゴルフ、陸上競技に加え、スキーやカーリングなど冬季競技まで幅広く事業を展開。スポーツの枠にとどまらない事業もある。企業理念や戦略を水野明人社長(77)に聞いた。

「ええもん」とは何か、ロングセラーの秘密

「『ええもん』とは何か。それは今あるものよりもっといいもの、パフォーマンスが上がるもの。野球では世界初のポジション別のグラブに、(それまで6本が主流だった)歯を9本にしてグリップ力を高めたスパイクといった世の中にないものを提案し、本当に良くなったか検証するための研究にも投資をしてきた。ロングセラー化できているのは、根気強い企業風土も背景としてあるのかもしれない。少しずつ、改良を重ねて前進してきた」

発想の源泉については、「社員には思いついたら、どんどんアイデアを出すよう奨励していて、年間800件近く出てくる。玉石混交だが、磨けばキラッと光るものもある。まず挑戦しないと何も始まらない」と語る。

現場重視の開発と他分野への挑戦

ミズノらしさについて、「開発の根源が現場にあるという考えが浸透している。社員たちは現場にすごく足を運ぶ。今年、サッカースパイクのシェア(着用率、ミズノ調べ)がJリーグでトップに立てたのは、現場の声を細かく聞き取って製品に反映していった成果でもある」と説明した。

カーボン技術を生かした他分野への進出については、「カーボン事業は1962年、スキー板の生産でカーボン素材を扱ったのを機に始まった。長年の知見をどう転用できるかというところで、トヨタ自動車の燃料電池自動車で強度が求められる水素タンクの部品に使われるなど、他分野にも参入するようになった。なんでうちのカーボンが選ばれるのかを担当者に聞くと、『分からない』と言う。分からないけど良いというのは、一番良い。解明できていないものは、他社もまねできないから」と語る。

収益化の難しさと「やってみれば出来る」機運

市場規模が小さいカーリングや競技用義足なども幅広く手がけることについては、「正直言えば、収益化できていない事業も少なくない。事業は『選択と集中』が必要と言われるが、ミズノの経営理念はスポーツの振興で社会貢献すること。だから、『もうからなくても、求める人がいるなら頑張ろう』という気質がある。幅広い展開が競技を横断した開発につながることも多い。軟式野球用の高反発バット『ビヨンドマックス』の設計を生かして作ったゴルフクラブ『JPX ONE』が好例だ」と述べた。

転機については、「新しいことをやる企業風土は脈々と受け継がれているが、スポーツが『不要不急』と言われたコロナ禍は一つの節目だったように思う。最初はマスクが入手できない社員のために在庫が残っていた水着生地で作ったマウスカバーが、すごく売れた。手がけたことのない分野でも、やってみれば出来るという機運が社内で高まった。枕やマットなどの寝具や、アパレルに力を入れるようになったのも、こうした背景があってこそだ」と振り返る。

スポーツ文化の過渡期と未来への決意

近年のスポーツ離れについては、「中学部活動の地域移行も含め、日本のスポーツ文化は今、過渡期にある。当然、危機感は強い。スポーツメーカーとして、どう関与できるか。指定管理者などとして運営する全国のスポーツ施設の活用も一手だし、指導者育成の支援も大事だと考えている」と語る。

今後の展望について、「社員に『浮かれるような(業績の)伸び方はせんでいい』と常々伝えている。この先も100年続いていくため、着実に、堅実に、時代に合った『ええもん』を作り続けたい」と話した。

ミズノは1906年4月、大阪市北区で「水野兄弟商会」として創業し、洋品雑貨や野球ボールを販売。1910年、故郷の美濃国(岐阜県)にちなんだ「美津濃商店」に改称し、1942年に現在の「美津濃株式会社」となった。120周年を記念し、今月24、25日には大阪市の本社でスポーツフェスティバルを開催。プロ野球選手の使用済みバットなどから再生した糸で作ったデニムポーチを販売している。