寛永行幸の茶道具、8年後上皇の茶会で披露 公家文化への転換点
寛永行幸の茶道具、8年後上皇の茶会で披露

徳川将軍家から宮中に献上された茶道具が、天皇退位から8年後の後水尾上皇の茶会で披露されたとみられることが、専門家の指摘で明らかになった。室町時代に始まり千利休が大成した茶の湯は、戦国時代に織田信長や豊臣秀吉ら天下人が愛好し、武家社会で広まった。

寛永行幸と献上された茶道具

1626年(寛永3年)、2代将軍徳川秀忠と3代将軍家光の招きで後水尾天皇が二条城を訪れた「寛永行幸」では、金製・銀製の茶道具が御殿に飾られ、宮中に献上されたという。

茶道史が専門で遠山記念館(埼玉県川島町)学芸課長の依田徹さんによると、寛永行幸に茶会の記録はなく、献上された茶道具は8年後、天皇を退位した後水尾上皇の住む仙洞御所の茶会で披露されたとみられる。依田さんは「茶の湯が公家文化に組み込まれる転換点は寛永行幸にあった」と語る。

関連展示で公開される資料

将軍家から後水尾に嫁いだ東福門院和子は、利休の孫で茶人の宗旦と交流。泉屋博古館(京都市左京区)で10月18日まで開催中の特別展「寛永行幸と花の都の文化びと」では、和子が宗旦に贈った手製の押絵が並ぶ。

野村美術館(同)は秋季展「寛永時代の茶の湯」で、後水尾の子・後西天皇の茶会記を基に宮廷の茶会を再現し、家光作の茶杓も添えた(前期10月18日まで展示)。

主任学芸員の内田昌太朗さんは「江戸初期には天皇から町人まで茶の湯を楽しみ、あちこちでサロンが形成された」と話す。戦争が終わり平和が訪れた時代、浸透していく茶の湯を見て取れる。