国産OS(基本ソフト)「TRON(トロン)」は、米政府の「貿易障壁年次報告書」で問題視され、突如日米貿易摩擦に巻き込まれた。日本政府の「トロン優遇」には国内からも批判が上がっていた。
批判の急先鋒だったのが、現ソフトバンクグループ社長の孫正義氏だ。当時、パソコンソフト流通大手・日本ソフトバンクの社長だった孫氏は、伝記本「孫正義 起業の若き獅子」によると、「(日本政府は)トロンにばかり肩入れし、海外のコンピューター製品を締め出そうとしている」などと批判を展開し、「関係者にトロンの危険性を説いて回った」という。
米政府報告書が引き金に
トロンが米通商代表部(USTR)の報告書でやり玉に挙げられると、孫氏は通商産業省(当時)の幹部に「これを口実に一気にトロンを潰した方がいい」と言ったとされる。
その後、事態は孫氏の思惑通りに進む。報告書公表から約2か月後の1989年6月、学校向けパソコンの仕様を検討していた財団法人が、トロンを標準仕様にすることを断念したと報じられた。米政府の報告書が引き金になったのは明らかだった。
日本メーカーが撤退
結局、米政府がトロンに対し「スーパー301条」を適用することはなかった。しかし、日本メーカーの受け止めは違った。
トロンが米政府の怒りを買った――。そう受け取った日本メーカーはトロンに関わることを恐れ、潮が引くように「トロンパソコン」の開発から手を引いていった。「トロン自体が否定されたわけではなかったが、『米国からケチがついたOSなんて使えない』となってしまった。風評被害のようなものだった」と坂村氏は述懐する。
パソコン市場での挫折
当時、パソコンに搭載されるOSはマイクロソフトのMS-DOSが主流ではあったが、「どのOSが勝つかはまだ分からなかった」という。日本のパソコンメーカーはマイクロソフトの対抗馬となるOSを探しており、トロンはその有力候補だったが、日米貿易摩擦に巻き込まれ、その芽は摘まれることになった。
「トロンパソコン」で悔しい思いをした坂村氏だったが、トロンを開発した人物として国際的な評価が高かった。「もし日本でうまくいかなくなっているのなら、いつでも米国に来てほしい」。貿易摩擦を巡る騒動の後、面会した米政府高官からそんな誘いも受けた。ただ、坂村氏は「そんなことにはなっていない」と答えたという。
今も世界で稼働
パソコン向けOSでは挫折したものの、トロンは家電など電子機器向けのOSとして大成功していた。
任天堂のゲーム機「スイッチ」、ダイキン工業のエアコン、トヨタ自動車のエンジン……。今や世界にある数十億台の電子機器にトロンが使われていると言われる。「一般の人の目には触れないが、トロンは今も世界中の製品で動いている」(坂村氏)。
グローバルでオープンな坂村氏の発想が世界で受け入れられている。その事実は「デジタル敗戦」を味わった日本に多くの示唆を与えているといえそうだ。



