「9・11」後の保護主義、日本は貿易秩序の回復に尽力を
「9・11」後の保護主義、日本は貿易秩序の回復に尽力を

2001年9月11日の米同時多発テロから25年。当時を現地で取材した記者が、その後の世界の貿易秩序の変化を振り返り、日本が果たすべき役割を訴える。

あの日、ハノイで

2001年9月11日、記者はベトナムのハノイにいた。シンガポールからアジア太平洋経済協力会議(APEC)財務相会議の取材で中国・蘇州へ行き、その後ハノイへ移動。東南アジア諸国連合(ASEAN)関連の経済閣僚会議を取材するためだった。

夜、ホテルの部屋から東京に送信した原稿に誤りが見つかり、慌てて連絡すると、電話の向こうの編集局は初めて耳にするような喧騒状態だった。デスクに途中で切られ、ふとテレビをつけると、旅客機が世界貿易センターに衝突する映像が繰り返されていた。

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ワシントンへの応援

会議取材も終わり、資料用にバイクの群れを歩道にかがんで撮っていると、物売りの子供たちが寄ってきた。デジカメのバイクの画像を見せて「10ドルでいいよ」と応戦していた時、携帯電話が鳴った。デスクからで「今からワシントンに応援で行ってくれるか」と言われた。

立ち上がった瞬間に犬のフンを踏んづけた。「これはウンがついたのか、ウンの尽きなのか」という洒落が浮かんだが、周りにはベトナムの子たちしかいない。そんな些細なことまで覚えている。

ハノイはまだ国際線が少なく、バンコク、シンガポール、成田と乗り継いで約40時間かけてニューヨークに着いた。夏物の衣類と10日分の洗濯物を入れたスーツケースは現れず、バイクの排ガスと調味料のシミで汚れた半袖のポロシャツでは肌寒かった。

グラウンド・ゼロの光景

地下鉄駅から出てきた人々はゆっくり同じ方向に歩き、所々に立つ兵士が立ち止まらないよう促している。ビル街に空間が開け、「9・11」が鮮烈に現れた。巨大ながれきと化した「グラウンド・ゼロ」(跡地)の残酷な光景を、沈黙の群衆は何度も振り返って心に焼き付けていた。

保護主義への転換

世界は「反テロ」の結束を示そうとした。ワシントンで取材した先進7か国(G7)財務相・中央銀行総裁会議は、延期論が出たドーハでの世界貿易機関(WTO)閣僚会議の開催を支持した。対立してきた先進国と途上国は、反テロの面からもドーハ・ラウンドの開始に合意した。

だが、振り返ると01年は自由貿易体制が瓦解して保護主義に向かう序章の年だった。9・11後の12月に中国はWTOに加盟し、やがて米国と激突する。ドーハ・ラウンドは事実上消滅し、今はトランプ大統領が貿易秩序を破壊している。

図らずも01年の通商白書は中国の台頭と大競争時代を主題にしている。先頭を飛ぶ日本に各国が続く「雁行型」のアジアの経済発展モデルは終幕した。米中対立の渦中の19年の白書は世界恐慌後と日米貿易摩擦当時に次ぎ、「世界は3度目の保護主義に直面している」と危機感をあらわにした。その後は経済安全保障、サプライチェーン強靱化、今年は「信頼できる経済圏構築」と保護主義への対処を求め続けている。

「(日本の)経済の自立も安定も通商の振興によってのみ達成される」と終戦4年後の1949年の初回白書は記した。今に響く言葉であり、言うまでもなく日本は貿易秩序の復元に率先しなければならない。

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