小椋佳、寺山修司に直電「一緒にやらせて」銀行員から転身の瞬間
小椋佳、寺山修司に直電「一緒にやらせて」銀行員から転身

シンガー・ソングライターの小椋佳さんは、東京大学在学中に司法試験を諦め、昭和41年に日本勧業銀行(現みずほ銀行)への就職が決まっていた。しかし「創造的な作業をやる人生を送りたい」との思いから、小説や音楽、絵画など芸術活動に手を出していたという。

「幕の向こう側に行かなきゃいけない」と強迫観念に

小椋さんは当時、芝居を見あさる日々を送っていた。ある時、日大の学生が宝くじに当たり、劇作家の寺山修司さんに「賞金100万円を使ってミュージカルを創ってください」と依頼したという記事を目にした。条件は、その学生を主役にすることだけだったという。

寺山さんがこれに応じ、ミュージカル「さよならの壜詰め」が3日間公演で行われた。小椋さんは東京・赤坂見附駅近くの芝居小屋でこの作品を観劇した。主役の日大生は歌も踊りも「ろくでもない」状態だったが、脇は当時の役者で固められており、コメディー役者の世志凡太も出演していた。

「ミュージカルとしては大したことないな」と思いながら劇場を出た瞬間、小椋さんは〝声〟に襲われた。「お前、創造的な作業をする、って言っていながら、実際には、来年からはただの銀行員になるだけなんだよ」「今、この『さよならの壜詰め』の舞台の幕が下りてきているけど、お前は結局、来年からは幕のこっち側(客席側)にしかいないんだ。これをつくっている人たちは、この向こう側(舞台側)にいるんだよ」というボソボソとした声だった。

電話帳で番号を調べ、寺山修司に直訴

小椋さんは「俺は、幕の向こう側に行かなきゃいけないんだ」という感情にとらわれ、芝居小屋を出ると電話ボックスを探した。電話帳で調べた寺山さんの番号にダイヤルを回すと、寺山さんが電話口に出た。

小椋さんは「僕は、東大の学生で来年から銀行員になるんですが、実はあなたみたいなことをやりたいんです」「一緒にやらせてくれませんか」と頼んだ。突然の電話に寺山さんが断るだろうと思っていたが、その後の返答は記事では明かされていない。