千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館で、アイヌ民族と博覧会の関わりを約150年にわたってたどる企画展「アイヌ民族と博覧会―150年の経験―」が開かれている。工芸品や写真、衣装など約200点の資料とともに、博覧会に関わったアイヌ民族らの経験を「声」として紹介。アイヌ民族は博覧会でどのようなまなざしで見られ、自らの文化をどのように伝えてきたかについて読み解いていく。11月29日まで。
江戸後期の物産会から
探検家の踏査記録も展示。蝦夷地(北海道)を訪れる和人の数が増えた江戸後期には、博覧会の前身のような展示イベントが江戸や京都を中心に各地で開催された。物産会などと呼ばれ、アイヌ工芸品の出品も確認されている。
北海道の名付け親でもある幕末の探検家、松浦武四郎(1818-1888年)が蝦夷地の詳細な踏査記録を残した「『近世蝦夷人物誌』二編巻之中」を展示し、木彫り細工の名手「モニヲマ」の姿を伝える。彫り物を頼んだ武四郎は、その技術の高さに驚いている。アイヌの小箱や盆などの木彫品も紹介。
明治期の博覧会と学術人類館
明治期になると、こうした工芸品は博覧会に出品されるようになった。明治36(1903)年の第五回内国勧業博覧会では「学術人類館」が設けられ、アイヌを含む複数の民族が、生身の人間として観覧の対象となった。知識や文化を広める目的がある一方で、偏見や優越感を含むまなざしも向けられた。当時の写真などが展示されている。
戦後、主体として関わる姿
戦後になると、アイヌ文化を自ら表現する場として、アイヌ民族が主体的に博覧会に関わろうとする場面も見られるようになる。昭和45年の大阪万博では、アイヌ文化を伝承する白老民族芸能保存会の一員として山田富三(1933-1986)が出演した。「大阪万博に向かう途中の空港にて」と題された写真には、山田が旅客機の前に立つ姿が写る。一方的に展示される対象ではなく、一人の参加者として出場する姿がうかがえる。