『紺碧のアビタシオン』第20回。帝大建築科卒業式の日の夜、彼は夜行列車で東京を発ち、神戸港から出港する船で大連へと渡った。街角のどこかで美貴子とすれ違っていたかもしれない。さらに奉天を経て、長春からシベリア鉄道でモスクワを経由しパリへ。約2年間、当時のモダニズム建築を牽引していたル・コルビュジエのアトリエで学ぶ。
まだ何者でもなかった彼ら
彼らはまだ何者でもなかった。彼らがその後、日本の集合住宅やモダニズム建築の旗手になるとは、まだ誰も知らなかった。彼らはまだ孵化する前の卵だった。美貴子はそれよりももっと前、まだ卵の形にもなっていなかった。けれど、建築というひとつの道が、彼らを近づける未来があった。そんな日が来ることを、美貴子も二人の青年もまだ知らなかった。
済南事件と父の暗い影
また、この年の五月には、北伐中の蔣介石が率いる国民革命軍に対し、日本政府が日本人居留地民保護を口実に出兵し、山東省の中心都市である済南で日中両軍が衝突する、といういわゆる済南事件が起きていた。日中ともに犠牲者が出たが、中国の犠牲者のほうがはるかに多く、中国国民の反日感情を増幅させる出来事となった。済南事件は日清戦争以来の軍事衝突であり、一九三一年、昭和六年の満州事変、そして一九三七年に始まる日中戦争へとつながっていく大きな転換点となった。
例えば、夕食後の家族の語らいのなかで、未来への不安など口にしたことのない父であったが、この済南事件は彼の心のなかに暗い影を落とした。日本も中国も、彼にとっては愛すべき国だった。もし、このふたつの国が今以上に、ぶつかり合うようなことがあれば、この町を、大連を離れるときが来るのではないか……。もし、家族に何かあったら……。そのための準備をしておかねばならぬ、と一人心に決めた。
母の判然としない答え
「ねえ、お母様、お茶の間ってどんなもの?」
「そうねぇ……」
母の目が遠くなる。ひとつ質問をすれば瞬く間に十の答えが返ってくる聡明な母であるのに、今日は、その答えが判然としない。