15年前の夏の甲子園を制し、翌年には大学でも日本一――。かつてアマチュア球界屈指の投手として注目された吉永健太朗さん(32)は今、5人制手打ち野球の「ベースボール5(B5)」に情熱を注いでいる。度重なるけがや挫折を経て出会った競技で、選手兼監督としてチームを率い、普及活動にも力を入れている。
全国4強、新競技に挑む
「手で打つ時、意外と痛いんですよ」。墨田区内のスタジオで2日、吉永さんは競技で使うゴムボールをトスし、右手で「バシッ」と打ちたたいて見せた。
2023年10月、B5チーム「Hi5Tokyo」を設立。メンバーは現在、高校生から35歳までの男女16人で、毎週品川区内の学校体育館で練習を重ねている。吉永さんは遊撃を守り、攻守でチームを引っ張る。24年に横浜市内で初開催された日本選手権ではベスト4に入った。
B5はボール一つで手軽にできる一方、戦略性が求められる。「男女が入り組む打線で、誰がどうプレーして点を取るか。常に先を読みながら攻撃を考えるのが楽しいし、奥が深い」と魅力を語る。
栄光と挫折
日野市出身。元バドミントン選手の両親のもとに生まれた。小学1年から野球を始め、西東京の強豪・日大三高時代は独自に磨き上げたシンカーを武器に、高校3年だった11年夏、甲子園優勝を果たした。
早稲田大学でも1年の春から主戦投手として活躍し、同時期の全国制覇に貢献。その年にはアマチュア日本代表にも選ばれ、アジア大会に出場した。だが、ここから歯車が狂った。韓国との試合で登板中に右上腕の肉離れを発症し、休養後に投球フォームを見失い、2年生以降は結果が出なかった。
16年にJR東日本に就職し、社会人選手としてプレーを続けたが、2年目の試合中に右肩を脱臼。手術の際、医師から「投手に復帰できた前例はない」と告げられた。1年間のリハビリを経て一度はマウンドに復帰したが、肩痛に苦しみ、19年に引退を勧告された。「大学2年以降はずっと苦しかった。プロになれなかったのは悔しかった」と振り返る。
普及活動に力
引退後はJR池袋駅の「みどりの窓口」の職員として働くなど仕事にいそしんだが、「野球に代わって熱中できる何かがほしい」と感じていた。そんな時、ともに甲子園で頂点を極めた同級生がB5の選手として活躍していることを知り、23年夏に体験会へ参加した。
「しょせんは手打ちの野球。好きなところに打てるし、簡単だろう」と侮っていたが、18歳以下のユースの子供たちにあっさりと打球を捕られた。負けず嫌いに火がつき、肩を気にせずプレーできた喜びも相まって夢中になった。「せっかくなら一からチームを作りたい」と思い、3か月後にチームを設立した。
現在は人材サービス会社に勤務しながら、B5の普及活動や野球のレッスンに力を入れる。来月6日にはよみうりカルチャー錦糸町(墨田区)で、B5を題材とした子供向けの講座を開く予定だ。
B5には本塁打も三振もなく、「見るだけでは魅力が伝わりにくい。いかに体験してもらうかが課題だ」と話す。一方、バットやグラブも不要なハードルの低さから、野球の入り口としても最適だと考えている。「活躍した期間は短いのに、いまだに自分のことを覚えていてくれる人がたくさんいる。そういう人々のためにも、今後も自分なりの方法で野球界に貢献していきたい」と力を込めた。
ベースボール5は2017年に世界野球ソフトボール連盟(WBSC)がキューバの遊びを基に考案した男女混合5人制のアーバンスポーツ。基本的なルールは野球と同じで、5イニングで得点を競う。塁間は13メートル、全体が21メートル四方のフィールドで、打者は自分でトスしたゴムボールを素手で打ち、野手も素手で守る。本塁打はなく、フェンス越えの打球やファウル、空振りは全てアウトとなる。全日本野球協会によると、国内では昨年秋時点で男女計686人が選手として登録されている。



