1984年ロサンゼルス五輪での柔道無差別級の戦いで、山下泰裕氏に最大の危機が訪れたのは準決勝だった。
2回戦のアルトゥル・シュナーベル選手(西独)との対戦中、右ふくらはぎの肉離れという事態に見舞われた。伏せようとしたが、皆にも知られてしまう。
続く準決勝はローラン・デルコロンボ選手(仏)との対戦。開始早々相手は負傷した右足を狙い大外刈りを仕掛けてきた。普段なら反射的にかわすが、右足が鈍く技がかかってしまう。体をひねって落ちたため「一本」は免れたが、「効果」を奪われた。
山下氏はそれまで外国選手との対戦で無敗。仕掛けられた技でポイントを奪われたのは初めてだった。恩師の佐藤宣践先生はこの時「ああ、山下も古橋さんと同じように五輪には縁がなかったか」と思ったという。
《古橋広之進さんは戦後世界新を連発、フジヤマのトビウオと呼ばれた競泳選手。しかし五輪でのメダル獲得はならなかった》
負けるんじゃないか。立ち上がったその時に、足を骨折した時と同じ、あの「声」がまた聞こえてきた。今度は強烈な叱咤だった。
「何だお前は。お前が今まで一生懸命頑張ります、頑張りますと言っていたのはこの程度のものか。お前オリンピックに来て、こんな無様な試合をするために来たのか?」



