愛知県を中心に行われるアジア競技大会(読売新聞社協賛)が9月19日に開幕する。レスリング女子に出場する53キロ級の清岡もえ選手(ALSOK)、68キロ級の石井亜海選手(クリナップ)を指導するのが、高崎市の育英大でレスリング部の総監督を務める柳川美麿氏(50)だ。2024年パリ五輪金メダリストの桜井つぐみさんや元木咲良選手(育英大助手)も育てた気鋭の指導者の極意に迫った。(前橋支局長 大野展誠)
日本代表を輩出できる理由
育英大からレスリング女子でアジア競技大会に2人、10月開幕の世界選手権に4人が出場する。これだけ日本代表を輩出できるのはなぜか。
「うちの場合は練習の量をやっている。ただ、今の時代、量をやらせるのが難しい時代になってきているので、良好な人間関係を保ちつつ、体調面に気をつけながら選手一人ひとりと丁寧に向き合っている。コミュニケーションの取り方を今の時代に沿った形にするように、米国で過ごした高校時代の米国人コーチの指導方法も取り入れている。具体的には選手を褒め、コーチとしての上下関係を作らず、意見が言いやすいようにする。選手はそれぞれ性格が違う。100人いたら100通りの対応をする。変な話だが、顔色をうかがいながらやっている」
個性を見極め、選手によって指導方法を変えるのは難しいことだ。
「私は両極端な人生を送ってきた。自由な雰囲気だった米国から帰国し、当時は先輩の洗濯物もたたむような伝統校の日体大レスリング部に入った。群馬大の大学院では修士課程は教育学研究科、博士課程は医学系研究科で学んだ。いろいろな経験がミックスされ、幅広い指導ができるようになった。様々な人と付き合ってきたので様々な会話ができる。不真面目な学生を含めて多様な学生に対応でき、そこが一番得意なのかもしれない。かなり広く対応できることが100通りの個に応じた指導方法につながっている」
「私は自分に自信があるものがない。ちょっと得意なのは、人に素直に聞けるところと探究心があるところ。米国人も年齢を気にしないところがあるが、上手な高校生にも『技術を教えて』と聞ける。勝ちにこだわるプライドは持っているが、間違ったプライドは持たないように心がけている。それは選手たちにも伝えている」
米国での経験が指導に与えた影響
やはり米国での経験が指導方法に大きく影響しているようだが。
「小学生の頃、負けたら怒られ、正座をさせられた。米国では負けて帰ってきた時に『1本目のタックル、素晴らしかったよ』という会話で終わることがたくさんあった。日本で受けた教育と両極端だったので『これは何なんだろう』と思い、こういうのも大事なんだと気づかされた。叱ることもあるが、やる気が出るから、褒めることも重要だと感じている」
指導する上で大切にしていることは何か。
「親心で指導することだ。こういう時代だからこそ、希薄な人間関係では強化はできない。おじいちゃんでは甘やかしすぎるし、恋人では近すぎる。親は子どものことを思って、言う時はきちんと言わなければいけない。親ぐらいの感覚で対応している。技術的なことに関しては最先端を取り入れることと、勉強をすること。レスリングも技術的に進化しているので学び続けないと勝てない。自分一人でやれることには限界があるので、栄養士、フィジカルトレーナー、理学療法士など総動員で、人に頼って組織作りをすること。基本はその三つで、あとは練習の量をやることだ」
選手を支える体制と指導の哲学
大勢で選手を支えている。
「膝、肩、腰椎、足首と、けがをした部位により頼る医師も違う。栄養士もそうだが、レスリングという競技の特性を理解し、こちらの要望に応えていただける人材を探し、チームに組み込んでいく。女子は私、男子は2人のコーチが指導している。自分に合った技術を見つけられるように、いろいろな外部コーチも招き、技術指導をしてもらう」
部員は世界大会に行ける選手だけではない。大学のクラブ紹介では、教員、消防や警察などの地域で活躍できる人材を養成していると書かれている。
「まずは30歳、40歳になった時、幸せに生活していることが大事だと思っている。そのために競技を続けた方がいいのか、続けない方がいいのか。中長期的なことを考えて指導している。人生はレスリングだけではない。(パリ五輪金メダルの)桜井つぐみには五輪後、やめた方がいいと言った。理由の一つはまだ若いこと。また、世界選手権は2021年から3連覇し、パリ五輪で優勝したが、過去をさかのぼると技術的に点を取る技が少ない。すると練習の量をこなさないといけなくなる。五輪優勝をモチベーションに量をこなしてきたが、それを続けられるかと話し合った結果、地元の高知に帰り、大学院に入った。卒業後を見据えた指導を丁寧にしていると、親が安心して子どもを預けられるようになり、自然と人が集まり、いい選手も集まるようになる。それもマネジメントの一つだ」
部員の一日はどのようなものか。
「午前5時台に起き、6時半から8時まで朝練をして、シャワーを浴び、学食で私と一緒に朝食を食べてから授業に行く。さらに午後4時半から7時頃まで練習し、シャワーを浴び、学食で9時までに夕食を食べ、家に帰り、そこから洗濯をしたり、課題をしたりする。そして、また5時に起きて、を繰り返す。昼間は授業なので、我々もきついが、学生もたぶん相当きついと思う」
学生を指導する上で最も難しいことは何か。
「ルーチンを繰り返し、厳しい練習を毎日こなさなければいけない中で、モチベーションを維持させるのが一番難しい。それには、やはり言葉がけが大切だ。それでもどうにもならない時は、榛名湖や尾瀬ヶ原に全員を連れて行き、ハイキングをしたりしてリフレッシュさせる。そういうのも全部ひっくるめて指導だと思う」
世界から注目される指導力
取材した日、道場には米国選手の姿があった。聞けば、海外の選手が「育英大で練習したい」と、たびたび出稽古に来るそうだ。五輪や世界選手権のメダルは、それだけの影響力があり、いまや柳川総監督の指導力は世界から注目の的だ。
ただ、それゆえの悩みも出てきたという。創設時は数人の部員を教えるだけだったが、今や系列の高校の生徒や卒業生を含めて約90人。何より、大学の副学長として学校運営の仕事もこなさなければならない。少子化の中で、私学の生き残り策にも思いを巡らせる。とにかく、時間が足りないのだ。
根幹にあるのは「平等に、親心で子どもたちに接すること」。一人ひとりの個性に寄り添った指導をするのが信条だから、部の規模が大きくなることを手放しでは喜べない。来年の創部10年目を前にして、原点が揺らぐことを心配する姿に、この人が持つ魅力がにじむ。
柳川美麿氏は1975年11月、横浜市生まれ。幼少時に前橋市に引っ越し、群馬大教授の父も取り組んだレスリングを小学4年から始めた。高校時代を米国で過ごし、帰国後に日体大へ。群馬大大学院医学系研究科の博士課程を修了し、育英短期大に教員として就職した。2018年の育英大創立に合わせてレスリング部の創設を理事長に熱望し、創部7年目で五輪金メダリストを輩出した。育英大の副学長、教育学部長も務める。



