戦闘機操縦士養成の陸軍佐野飛行場、強制移転の記憶を冊子に 市民団体が刊行
陸軍佐野飛行場の歴史と強制移転の記憶を冊子に

戦時中に大阪府泉佐野市内に造られた陸軍佐野飛行場の歴史を残そうと、調査を続けてきた市民団体「泉佐野の歴史と今を知る会」が、これまでの成果を冊子にまとめる作業を進めている。飛行場の詳細や、建設に伴って集落ごと強制移転させられた元住民の証言などを記録しており、地域に残る戦争の爪痕を手に取りやすい形にして次世代に伝える。

これまでに刊行された3冊の冊子

これまでにできあがった冊子は、飛行場の歴史を資料や証言からまとめた「佐野飛行場」(昨年10月刊行)、建設に伴って立ち退きを迫られた人たちの証言を集めた「消えた集落 野添」(今年2月刊行)、飛行機を守る設備の実態を紹介した「佐野飛行場の掩体壕」(今年8月刊行)の3冊。それぞれ20~40ページ程度にまとめ、写真や地図も添えた。

作業の中心を担っているのは、市立歴史館いずみさの元館長の樋野修司さん(87)と元市職員の北山理さん(94)だ。

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戦後80年、薄れゆく記憶を記録

戦後、飛行場跡地は都市化が進み、痕跡はほとんど見られなくなった。市民らの記憶も薄れていたが、社会科教員だった樋野さんらが「地元の戦争体験を掘り起こそう」と調査を進め、その成果を基に戦争資料展を開催。その後も、元住民の証言や当時の写真などを地道に集めてきた。

戦後80年が過ぎ、高齢化で当時を知る関係者が少なくなる中、今までの調査結果を形にして残そうと冊子の刊行活動に取り組み始めた。

2度の立ち退きを強いられた住民の証言

北山さんは約25年にわたり、延べ400人以上の元住民らに聞き取りを実施。その内容は「消えた集落 野添」に収録されている。

野添地区は30戸程度が暮らすのどかな小集落だったが、飛行場建設計画が持ち上がり、住民は近くの地域へそれぞれ移らざるを得なかった。しかしその後、新たな滑走路建設が計画されたため住民は再度立ち退きを強いられ、離ればなれになったり、新しい土地での生活再建に苦しんだりしたという。

冊子には「もう(家を)建て直したくない」といった嘆きの声が記されており、北山さんは「2度の立ち退きが、住民にとっていかに大変だったかがわかる」と話す。

今後の刊行と冊子の入手方法

泉佐野の歴史と今を知る会では、今後も佐野飛行場に関する冊子の刊行を続けていく予定で、樋野さんは「以前は跡地の見学会などもあったが、最近はなく、飛行場についてほとんど知られなくなっている。多くの人に冊子を手に取ってもらい、地元の戦争の歴史を知るきっかけにしてもらいたい」としている。

冊子は泉佐野ふるさと町屋館で販売している。各200円(税込み)。問い合わせは同館(072・469・5673)へ。

陸軍佐野飛行場は、「明野陸軍飛行学校」(三重県)の分教所として、戦闘機の操縦士を養成するため、1942年に工事が始まり、44年に開設された。長さ約1.5キロの滑走路や兵舎などの建設のため、予定地にあった集落の民家や墓地が強制的に移転させられた。戦後、跡地は農地化され、その後都市化が進んだことで、現在は正門門柱跡などの痕跡がわずかに残るのみとなっている。

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