武田真一アナ、転勤で涙「会社命令だよ」…地方勤務は「人生を豊かにしてくれた財産」
武田真一アナ、転勤の重荷と財産語る 地方勤務の意義も

5度の転勤を経験し、フリーに転じたアナウンサーの武田真一さん(58)は、地方勤務を「人生を豊かにしてくれた財産」と振り返る一方、大都市集中を前提とする転勤制度の課題を指摘した。大阪での単身赴任中、御堂筋で見かけた衣料品店の看板に「Why are you here?(なぜここにいるのか)」と書かれていたといい、「会社命令だよ」と心の中でつぶやいた瞬間、膝が崩れ、涙があふれそうになったという。

地方局は「放送の学校」

武田さんは1990年に筑波大を卒業し、NHKに入局。「ニュース7」や「クローズアップ現代+」のキャスターを務め、2023年に早期退職して独立。現在は日本テレビ系の情報番組「DayDay.」のMCなどを務めている。熊本県出身で58歳。

NHKでは熊本放送局を振り出しに、松山、東京、沖縄、東京、大阪と転勤した。武田さんは「全国組織は、東京からの発信だけでなく、地域をしっかり担うことが欠かせない。その土地に住み、地域の一員になり初めて伝えられることがある」と話す。地方へ行くことを嫌だと思ったことはなく、むしろワクワクしていたという。

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松山の空港に初めて降り立った時、瀬戸内の空の青さに驚き、感動した。風土や食べ物、人柄も違い、「日本は本当に多様なのだと実感した」と振り返る。当時は松山市が大渇水に見舞われ、社宅近くのお寺では雨乞いの祈祷が行われ、夜中に水をためて暮らした。「東京から客観的に伝えることとは異なり、当事者として伝えられることがある」と語る。

東京で昼のニュースを担当していた時はプレッシャーが大きく、精神的な疲弊が家族にも伝わった。そんな時に沖縄へ異動した。あらゆる文化が違い、人懐っこく、ふらっと取材に行くと「沖縄での暮らし、どうね」と声をかけられ、スーパーなどでも「見たよ、面白かったよ」と気軽に話しかけられたという。隣で起きていることを取材し、隣の人に伝える。首相官邸やホワイトハウスの動きも、沖縄の村役場の話も、言葉にして届ける本質は同じで、報道の原点だったと話す。

地方局は「放送の学校」でもあった。自ら毎週ネタを探し、現場でカメラマンに「撮るものがない」、編集マンには「なんだこの絵(映像)は」と怒られながらリポートを作った。所帯が小さく、何でも自分たちでやるからこそ、ニュースがどう世に送り出されていくかのプロセスが分かる。だから東京に異動しても「ここはもうちょっとこんな情報があるんじゃないか」と意見することができたという。

転勤が私生活に与えた影響

一方で転勤は、キャリアや私生活に大きな影響を与えた。若い頃は大きな仕事がしたいと自分のキャリアだけでよかったが、結婚後は違った。妻は仕事を辞めてついてきてくれたが、誰もができるわけではない。長男が転校し、なじむまで時間がかかったこともあった。「行く先々で様々な関係がリセットされ、新しく築いていく。家族が築いたつながりが断たれることは心の重荷だった」と打ち明ける。同僚には子どもが中高生の頃に一緒に暮らせず、「アパートに帰って暗い部屋で、ただいまと言った瞬間に涙が流れた」と話す者もいたという。

武田さんは転勤制度について「東京などの大都市をハブ(拠点)に全国のネットワークを回すシステムだった。地域が空洞化し、大都市に人を吸い上げるような思想で成り立ってきた」と指摘。共働きが増えるなど社会構造は変化したが、転勤制度はさほど変わらないとし、「全国的な会社や組織のあり方を見直す時期ではないか」と述べた。

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その上で「もちろん会社にも会社の理屈や事情があり、皆が100%納得することは難しい。なぜ異動させるのか、誠意をもって伝えることが必要だ」と話す。若者には「嫌な人は嫌だと声を上げ続ければいい。人が集まらなくなれば、会社も変わらざるを得ない。声を上げていくことが、世の中を変えていくのだと思う」と語った。

「この異動でどうすれば良い人生を送れるか」

武田さんにとって転勤は「住めば都という面もあり、行った先で得られる出会いや経験が人生を豊かにしてくれた」という。ある先輩から「評価や周りにどう思われているかは考えなくていい。この異動でどうすれば良い人生を送れるか、行った先で楽しめるか。それだけを考えなさい」と言われた言葉を今も大切にしていると話す。

定年が近づくと、えも言われぬ寂しさがあり、夏休みが終わる前の子どものような心境になった。管理職として組織を運営し、後輩たちにより良い仕事ができる環境を残していく道もあったが、「行けるところ、やれるところまではやってみよう」と思い、フリーを選んだ。サラリーマン時代は定年という少し先のゴールを意識しながらやっていたが、辞めたことでゴールがなくなり、目的地は見えなくなった。仕事や体力がいつまで続くかもわからないが、「目標が見えないことへのすがすがしさもある」と語る。

インタビューを担当した都築記者は、初任地が武田さんと同じ松山だったといい、穏やかな気候が心地よく、今も付き合いが続く出会いに恵まれた。武田さんの話にうなずくことも多かったという。その後、何度かの転勤を経験し、新たな人や企業との出会いに仕事や人生の幅が広がった一方、妻は異動の度に仕事を辞め、ついてきてくれたと振り返る。

共働きが当たり前、子育てや介護とそれぞれが事情を抱えて働く時代に、転勤には目を背けられない厳しい現実がある。物価が高騰し、生活の基盤を移すにも、分けるにも負担は大きい。「従来の発想や制度で人を動かしていいとは思えない。解決につながる答えも一つではないはずだ」とし、事業における転勤の必要性を見直し、社員や家族の事情に耳を傾け、何ができるかを考えていく。働く人たちの人生が充実する、より良い転勤のあり方に向けた企業の試行錯誤を追いかけていきたいと結んでいる。