1969年11月、佐藤栄作首相とニクソン米大統領による日米共同声明が出されると、沖縄の教職員会が主導してきた祖国復帰運動は「米軍基地が残る欺瞞的返還だ」としてさらにエスカレートした。運動のスローガンは「軍事基地反対」から「軍事基地撤去」へと改められ、「原水爆基地撤去」に加え、日米安保条約の破棄も新たに打ち出された。
愛唱歌から日の丸の歌詞が削除される
こうした動きの中、教職員会の愛唱歌だった『前進歌』(作詞・作曲、島田春夫)の四番の歌詞「友よ仰げ日の丸の旗/地軸ゆるがせわれらの前進歌/前進前進前進前進輝く前進だ/足並みがひとりでに自然に揃う/だれも皆心から楽しいからだ」も削除された。「仰げ日の丸の旗」は、許されない歌詞になってしまっていた。
復帰運動は「階級闘争に変貌」
この背景には、沖縄県内の政治情勢の変革があった。昭和33年、沖縄社会大衆党が路線対立と内紛の結果、沖縄社会党が結成された。同党は当初から階級政党としての路線を鮮明にしていた。
元教職員会のメンバーで復帰運動を展開していた元高校校長は、「反安保、非武装という左翼思想を持った教員がどんどん入ってきて、オルグしていった。日の丸は罪悪だとして、あと少しで祖国復帰というメドがついた頃から、日の丸を掲揚しないようにと指示が来た。われわれが推し進めていた純粋な復帰運動は、完全に日米両政府に対する階級闘争に変貌してしまった」と複雑な表情を見せていた。



