現在の教育界では、給特法や働き方改革の議論が絶えない。今や「過酷なサービス業」とすら称される教員だが、かつて「聖職者」とされていた時代は、本当にいい待遇だったのだろうか。そんなイメージがあるかもしれないが、実態はまったく違う。日本政府は明治から令和に至るまで教育への投資を“ケチり”続け、現場に負担を丸投げしてきたのだ。150年以上も連綿と続く、教員の待遇の歴史と闇を振り返ってみよう。
「定額働かせ放題」の小手先改革?
2025年6月、公立学校に勤務する教員の給与や勤務条件の根幹を定めた法律(給特法)が改正され、26年から施行されている。改正前の給特法では残業代を支給しない代わりに給与月額の4%を一律で支給する「教職調整額」という仕組みを採用していたが、それが教員の長時間労働の温床となっているということで改正された。「教職調整額」は4%から10%へと段階的に引き上げられることになった。「義務教育等教員特別手当」(学級担任などの業務が困難な校務を担う教員に支給)も校務類型に応じて支給されるようになる。こうした施策により、教員の労働環境を改善しようというわけだ。
名ばかりの「聖職」と餓死に追い込まれた教員の窮状
歴史を遡れば、教員の待遇は常に厳しいものだった。明治時代、教員は「聖職」と称されながらも、給与は極めて低く、生活すらままならない状況が続いた。特に地方の教員は、俸給が遅配されることも珍しくなく、中には餓死する者も出たという。政府は教育の重要性を掲げながら、実際には教員の生活を支えるだけの予算を投じなかった。この「やりがい搾取」の構造は、戦前から脈々と続いている。
経済苦に陥る教職が「卑賤視」される風潮で教員不足が加速
経済的に苦しい教職は、社会から「卑賤視」される風潮を生んだ。明治後期から大正期にかけて、教員の社会的地位は低く、結婚すら難しいとされた。このため、優秀な人材が教職を避けるようになり、教員不足が深刻化。政府は教員養成を拡充したが、待遇改善は後回しにされた。歴史学者の濱田浩一郎氏は、「政府は教員を安上がりな労働力として扱い、その結果、質の高い教育の提供が困難になった」と指摘する。
「バイト」で食いつないだ戦後と令和の問題
戦後も状況は変わらない。高度経済成長期には教員給与は改善されたが、それでも他の専門職と比べると低水準だった。特に1990年代以降、バブル崩壊と少子化の影響で教育予算は削減され、教員の長時間労働が常態化。副業として「バイト」をする教員も現れ、社会問題となった。令和の現在も、教員の時間外労働は月100時間を超えるケースが珍しくなく、過労死ラインを超える事例も報告されている。2025年の給特法改正は、こうした状況を改善するためのものだが、根本的な解決には至っていないと専門家は見る。
明治から令和まで「教育をケチる国」日本
濱田氏は「日本は明治以来、一貫して教育投資を渉ってきた。教員の待遇改善は常に後回しにされ、現場の疲弊が教員不足を加速させている」と語る。OECDの統計でも、日本の公的教育支出の対GDP比は加盟国平均を下回り続けている。給特法改正は一歩前進だが、教員の労働環境を真に改善するには、抜本的な予算増と制度見直しが必要だ。150年以上続く「教育をケチる国」の体質を変えられるか、問われている。



