兵庫県明石市で2001年7月、花火大会の見物客11人が死亡した歩道橋事故から21日で25年を迎えた。次男の智仁ちゃん(当時2歳)を亡くした下村誠治さん(68)は、2022年10月に韓国ソウルの梨泰院で発生した雑踏事故の遺族との交流を続けている。「国は違っても、遺族の気持ちは同じだ」と下村さんは語る。
事故当日の惨劇
25年前の7月21日午後7時半過ぎ、下村さんは妻と子ども3人の家族5人でJR朝霧駅に到着した。歩道橋を挟んだ南側の大蔵海岸で行われる花火大会を見るためだった。智仁ちゃんを抱っこし、混雑する歩道橋(長さ103メートル、幅約6メートル)を歩いた。橋の中央付近にいた午後7時45分頃、花火の打ち上げが始まると、後ろの人に強く押され、身動きが取れなくなった。
午後8時30分に花火が終わると、駅に戻ろうとする人の流れでさらに圧迫された。密集状態で人々が相次いで転倒する「群衆雪崩」が発生。下村さん自身も転倒し、起き上がった後に倒れていた若い男性を起こすと、下に智仁ちゃんがいた。急いで抱え上げたが、搬送後に亡くなった。
「遺族に節目はない。智仁が取ってきたセミの抜け殻はまだ家にあるし、破ったふすまもそのまま。自分の腕の中で苦しんでいったあの悲しみは、何年たっても忘れられない」と下村さんは振り返る。
行政・警察の責任を追及
歩道橋事故は、警備計画がずさんで警備態勢も不十分だったことが背景にあった。下村さんは刑事、民事の裁判を通じ、行政や警察の責任を問うてきた。「遺族の気持ちを一番わかるのは遺族」との思いから、JR福知山線脱線事故の遺族らとも情報交換を実施。現在は国土交通省の被害者支援アドバイザーとして、職員向けの講演や事故遺族の相談を受けている。
2022年10月、梨泰院でハロウィーンを楽しむ若者ら150人以上が死亡する雑踏事故が発生。現地の雑誌に歩道橋事故が取り上げられ、下村さんは取材に応じた。2023年3月には、歩道橋事故で次女の優衣菜さん(当時8歳)を失った三木清さん(57)とともに被害者支援団体に招かれ、事故現場を訪れた。
現場は長さ約40メートルで、幅が狭く傾斜がある道路。誰かの転倒をきっかけに「群衆雪崩」が起きたとみられる。警備態勢の甘さが指摘されており、下村さんは「防げた事故だったのでは」と歩道橋事故と重ねた。
遺族同士の連帯
現地の遺族集会に招かれた下村さんは、「いつ子どものことを忘れられますか」と問われ、「亡くなったら、思い出も悲しみも苦しみも、止まったまま」と答えた。その場は静まり返ったが、涙を流し、じっと見つめる遺族の表情に覚悟を感じたという。
事故から1年後、ソウルでの追悼フォーラムに出席し、壇上であいさつした。「私たちの事故と類似点が多く、胸が痛む。ご遺族とは悲しみ、苦しみを共有し、家族のように思っている。ともに少しずつでも前を向いて進んでいければ」
その後も毎年、集会に足を運び、遺族と食事に行くなどしてお互いの悩みを話し合っている。
韓国からの感謝の手紙
2024年12月、明石市の歩道橋事故現場にある慰霊碑「想の像」の近くに、日本語と韓国語で書かれた手紙が貼られた。差出人は梨泰院事故の遺族だった。手紙には「明石歩道橋惨事の犠牲者たちの冥福を祈ります。下村誠治さんと三木清さんが韓国を訪れ、梨泰院惨事の遺族を慰めてくれました。感謝と連帯の挨拶をお伝えします。悲劇が繰り返されないためには、惨事の真相が究明されなければなりません。安全な世の中、生命が尊重される世の中になることを祈ります」と書かれていた。
下村さんは「国は違っても、遺族の気持ちは同じだ」と述べ、2025年10月の現地追悼フォーラムでその遺族と会い、お礼を伝えて抱き合った。
再発防止への決意
今月17日、下村さんは明石市内で開かれている歩道橋事故を伝えるパネル展を訪れ、再発防止を訴えた。10月にも訪韓し、遺族との交流は続く。「国境を越えて安心・安全の文化をつくりたい。それがあの日、歩道橋にいた僕の役目だから」と語った。
明石歩道橋事故は2001年7月21日午後8時45分頃、明石市主催の花火大会で、JR朝霧駅と会場の大蔵海岸を結ぶ歩道橋に見物客が殺到し、0~9歳の子ども9人と高齢者2人の計11人が死亡、183人が重軽傷を負った。業務上過失致死傷罪に問われた市と兵庫県警明石署、警備会社の幹部ら5人の有罪が確定している。



