日本の教員不足問題は、明治時代から続く政府の「やりがい搾取」体質に根ざしている可能性が高い。歴史学者で作家、評論家の濱田浩一郎氏は、教員の待遇の歴史を振り返り、現在の教員不足が150年にわたる構造的な問題の帰結であると指摘する。
教員不足の現状と自治体間格差
現在、教員の働き方改革や残業代・手当の増額が一部で進められているが、具体的な改善内容は各自治体の取り組みに委ねられている。そのため、地域によって教員の働き方にばらつきが生じているとの指摘もある。また、働き方改革や賃金改善だけでは教員不足の根本的な解決にはならない可能性も指摘されている。
「聖職」という名の低賃金労働
現代では「サービス業」とも言われる教員だが、かつてはより尊敬される職業だったというイメージを持つ読者もいるかもしれない。しかし、歴史を振り返ると、それは単なるイメージに過ぎないことがわかる。
明治時代、学校教員は「忠君愛国の臣民」を育成するため、高潔な人柄と高い職業倫理が要求された。教職は「聖職」と見なされ、教員は大いに尊敬されていたように思われるかもしれないが、実際の給与は決して高くなかった。
教員の身分は「待遇官吏」とされた。具体的には、「国家に対し忠実かつ無定量の勤務に服すべき公法上の義務を負うが、国庫から俸給を受けない等の理由により正式に高等官または判任官とされないが、その待遇を与えられる者」と定義された。つまり、教員は政府にとっては「行政機関の末端」であり、上意に従って忠実に働く者と見なされていた。
待遇は決して良いものではなかった。日清戦争や日露戦争で日本の経済は活性化したが、物価上昇により教員の給与は相対的に低下した。当時、弁護士や判事、医者などは月収20~80円(現在の価値で約30万~120万円)だったのに対し、師範学校卒の教員の月収は約9~12円(約13.5万~18万円)だった。この金額は「巡査」並みとされるが、巡査には制服や外套、靴などの現物支給(給与品)があったのに対し、教員にはそれすらもなかった。
経済苦に陥る教職が「卑賤視」される風潮で教員不足が加速
低賃金のため、教員は経済的に苦しい立場に置かれ、教職が「卑賤視」される風潮が生まれた。この風潮が教員不足をさらに加速させたと濱田氏は指摘する。明治以降、政府は教員を「聖職」と称しながらも、十分な報酬を支払わず、やりがいや使命感に頼る「やりがい搾取」の体質を続けてきた。この構造は令和の現在まで続いており、教員不足の根本原因となっている。
教員の待遇改善には、給与や労働条件の抜本的な見直しが必要だが、歴史的に見れば、それは容易ではない。150年以上続く政府の姿勢が変わらなければ、教員不足は今後も解消されないだろう。



