熊本地震で島根県警部隊が救助活動 水凌小隊長「できる時に確認を」
熊本地震で島根県警部隊が救助活動 水凌小隊長が呼びかけ

最大震度7を観測した「令和8年熊本地震」で、島根県警から派遣された広域緊急援助隊警備部隊の小隊長を務めた水凌徹哉警部補(31)は、読売新聞の取材に応じ、「暑さが厳しく過酷な現場だったが、部隊で体調不良者やけが人が出ることなく安全第一で活動できた」と振り返った。

同警備部隊は、災害発生から生存率が急速に下がるとされる72時間以内に人命救助や捜索活動を行う目的で派遣された。能登半島地震で活動経験のある水凌警部補は、4月から隊員をまとめる小隊長を務めている。

八代市での活動

派遣期間は発生当日の7月28日から同31日までで、派遣先は最大震度6強が襲った熊本県八代市だった。熊本県によると、9月7日時点の速報値では、八代市は同県内で最も多い約1万7000棟の家屋が被災し、20人が死亡した。

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28日午後7時半頃、島根県警機動隊庁舎(松江市平成町)を車両で出発。途中立ち寄った高速道路のサービスエリアでは、「頑張ってください」と声援を受けたという。道に転がるがれきを避けながら29日の午前中に到着した。

過酷な現場での救助

同日は、逃げ遅れた人がいるという情報のあった民家で活動。この日の最高気温は35度近くあり、隊員らは長袖に長ズボン、粉じんを防ぐマスク、手袋などを身に着け、全身からふき出す汗を腕でぬぐいながら取り組んだ。

近くで家族が不安そうな表情で見守る中、隊員たちが大きく崩れた民家のがれきを手やスコップで少しずつよけると、がれきの奥に人間の手らしきものを見つけた。近づこうとさまざまなルートを探したが、「民家からは常に『パキ、パキ』と音が鳴っていて、さらに崩れてしまいそうだった」と過酷な状況を振り返った。同警備部隊は一度拠点に戻らねばならず、ここでの活動を他の部隊に引き継いだ。

29日夜は、煙突の倒壊で従業員ら9人が死亡した日本製紙八代工場で待機し、30日も同じ民家で活動して31日に島根県に戻った。その民家での救助活動を他の部隊に引き継いだ後、救助されたと聞いて安心したという。

隊員を無事に帰す使命

一方で、水凌警部補は小隊長として、隊員を無事に帰すという使命もあった。初めての災害現場で余震も続く中、目の前の惨状に立ちつくす隊員もいたという。「余裕がなく、指示を出し切ることができず反省している。しかし、『水分や食事は取れる時にとって、休む時も休んで』と積極的に声をかけ、気を使わずに休める環境作りを心がけた」と話した。

今回の救助活動を振り返り、日頃から災害現場に近い環境での実践的な訓練の必要性を語る。また、県民に対して「災害はいつ起きるか分からない。避難場所の確認や被災した際の食料やトイレの準備など、できる時に確認しておくことが大事だ」と呼び掛けた。

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