かつて専門店が立ち並んでいた通りには、今ではカフェや古着屋が入居する。愛知県のとある商業都市は、76億円を投じた大規模再開発にもかかわらず、衰退の一途をたどっている。地元の商店主たちは、なぜ「身の丈に合わない再開発」に踏み切ったのか。その背景には、次世代への切実な思いがあった。
「子供にみじめな商売をさせたくない」という思い
再開発組合の理事長は、当時こう語っていた。「われわれの子供たちが親の跡を継ぐということに対して、われわれがこのままの状態でいるならば、子供たちの目から見た場合に、ずいぶんみじめな、人間らしくない生活をしているというような形に映っている」。この危機感が、再開発の原動力だった。商店街を次の世代に引き継ぐため、建物を新しくし、魅力ある街に生まれ変わらせる必要があったのだ。
しかし、その決断は地元の購買力を超えていた。同市は名古屋や豊田と比較して購買力が低く、76億円もの投資を回収できる見込みは薄かった。それでも理事長たちは、「このままでは子供たちが店を継がない」という恐怖に突き動かされ、事業を推進した。
外部資本への警戒心が招いた誤算
地元が最も警戒したのは、大阪を本拠とするダイエーだった。岡崎市史によれば、ダイエーが裁判所跡地への進出を計画すると、地元は猛反対。代わりに、サンリバーを核とする西三河総合ビル(後のメルサ)を整備し、対抗した。街は「外から守る」という発想で動いていたのだ。
だが、この戦略には限界があった。地元商店の連携で中心市街地を守ることはできても、郊外に次々と誕生する大型ショッピングセンターまでは想定外だった。街を守るために築いた仕組みは、時代の変化の前で機能しなかったのである。
「売りたいもの」と「買いたいもの」のずれ
再開発後も、商店街の衰退は止まらなかった。その原因の一つが、消費者ニーズとのミスマッチだ。地元商店が売りたいものと、消費者が買いたいものの間にずれが生じ、集客力が低下した。松坂屋跡地はマンションと商業施設に姿を変えたが、かつてのにぎわいは戻らない。
専門家は「身の丈に合った再開発が必要だった」と指摘する。76億円のハコモノは、地域の実情を無視した「夢の跡」となり、商店主たちの切実な願いも空しく、街は静かに衰退していった。



