愛知県岡崎市の中心部、康生地区から全ての百貨店が姿を消した。かつて西三河最大級の商業都市として栄えたこの地で、松坂屋、西武(旧・サンリバー)、セルビ、シビコといった大型商業施設が次々と閉鎖に追い込まれ、2026年現在、百貨店は一軒も残っていない。その背景には、戦後の闇市から始まり、全国初の再開発に至るまでの複雑な歴史があった。
戦後の闇市が生んだ商業の中心地
岡崎市は城下町であり東海道の宿場町として発展し、岡崎市史は「明治・大正・昭和を通じて西三河の商業中心地だった」と記す。その商業の核となったのが、東岡崎駅から徒歩約20分の康生地区だ。戦後間もない1946年、八幡町の疎開道路には約200戸のバラック商店が並び、「中央マーケット」と呼ばれる集団商店街が誕生。市史によれば「東海一」を謳い、演芸場まで備えていたという。この焼け跡の闇市が、25年後に全国初の再開発へとつながる。
最盛期、康生地区には大型商業施設が集中していた。松坂屋を核テナントとする「レオ」、名鉄系の「サンリバー」(のちの岡崎メルサ)、駐車場を備えた「セルビ」、4棟からなる「シビコ」。さらに東岡崎駅前には岡ビル百貨店やユニーも存在した。
全国初の再開発とその後の変遷
1970年代、岡崎市は法務省関係施設の移転をきっかけに再開発を推進。1976年には「岡崎シビコ」が開業し、158店の専門店が入居した。これが全国初の再開発事業の一つとされる。しかし、その後40年で状況は一変する。1990年代以降、郊外型大型店の台頭やモータリゼーションの進展により、中心市街地の商業機能は衰退。松坂屋は2000年代初頭に閉店し、跡地はマンションと商業施設に転換。西武(旧サンリバー)も撤退し、セルビやシビコも閉鎖された。
「かつては西三河一の繁華街と言われたが、今はシャッター通りになりつつある」と地元の商店主は語る。岡崎市の人口は増加傾向にあるものの、商業の中心は郊外の大型ショッピングモールに移り、康生地区の空洞化は深刻だ。
百貨店全滅の理由と今後の展望
専門家は、岡崎の百貨店消滅の要因として、①駅からの距離(東岡崎駅から徒歩20分)、②駐車場不足、③郊外競合の台頭、④人口減少に伴う需要低下を挙げる。特に、松坂屋や西武が核テナントとして機能しなくなった後、空き床を埋められずに閉鎖に追い込まれたケースが多い。
現在、康生地区では再々開発の動きがあるが、百貨店の復活は見込まれていない。代わりに、マンションや医療施設、公共施設の誘致が進められている。地元自治体は「コンパクトシティ」を掲げ、中心部の居住人口を増やすことで商業の再生を図ろうとしているが、かつての賑わいを取り戻すのは容易ではない。
岡崎の事例は、地方都市における百貨店の衰退と再開発の難しさを象徴している。全国初の再開発から40年、愛知屈指の商都は新たな挑戦を迫られている。



