秀吉に担がれた3歳児・三法師の悲惨な末路…信長の嫡孫が織田の苗字も居城も失い26歳で果てるまで
秀吉に担がれた三法師の悲惨な末路…26歳で果てるまで

NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」第30回「清須会議」では、秀吉(池松壮亮)が幼子を抱えて現れる。その幼子こそ、織田信長の嫡孫である三法師だ。清須会議で秀吉に担がれて勝利した側の人間でありながら、三法師はその後、歴史の表舞台からあっけなく姿を消す。なぜか。答えは「担がれた」という言葉の中にある。

清須会議で担がれた3歳児のその後

清須会議と聞いて多くの人が思い浮かべるのは、秀吉が三法師を担いで勝ったというイメージだ。三谷幸喜の映画では、大泉洋演じる秀吉が幼子を抱いて颯爽と登場し、重臣たちが平伏する。そのイメージは国民的な「定番絵」として定着している。

だが、三法師がその後どうなったかを描いた作品はほとんどない。信長の嫡孫であり、秀吉に担がれて会議に勝った側の人間であり、しかもまだ3歳だった。8月16日放送の第31回では、織田信孝が三法師を岐阜城へ連れていくという。

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秀信と名乗り、秀吉配下に

紆余曲折を経て、三法師は秀吉と信雄・家康が対立した小牧・長久手の戦いでは、秀吉に担ぎ出されて従軍する。黒田基樹『羽柴を名乗った人々』(KADOKAWA、2016年)によれば、この頃までに祖父信長にちなんだ仮名である三郎、そして実名秀信を名乗ったとされる。秀信の名は秀吉からの偏諱に織田家の通字である信を組み合わせたものだ。

このことについて黒田は次のように記している。「秀信は秀吉配下の立場に置かれたことが、明確に示されたものになっている。織田家当主ではなかったが、織田嫡流家の当主として位置づけられたとみられる。」

織田の苗字も居城も失い、26歳で果てる

三法師はその後、どのような人生をたどったのか。織田の苗字も居城も失い、26歳で生涯を終えるまでを、文献などを基に史実に迫る。

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