降伏2日後に特攻命令、遺書公開 山田孝さんの半生を企画展で紹介
降伏2日後の特攻命令、遺書公開 山田孝さんの半生紹介

太平洋戦争終戦後の1945年8月17日、航空機で敵に体当たりする「特攻」の命令を受けた元兵士がいた。山田孝さん(1918~87年)は出撃直前に命令が取り消され、一命を取り留めたが、家族に宛てた遺書が今も残る。埼玉県桶川市の桶川飛行学校平和祈念館で開かれている企画展「終戦後の特攻命令」で山田さんの半生を紹介している。

遺書には「この訪れ 吃驚(びっくり) するナ(中略)神州絶対不滅を信じ 今俺は行く(中略)ではさようなら 永遠に 佐様奈良(さようなら)」と記されていた。

山田さんの足跡

山田さんは農家の三男として福岡県西牟田村(現筑後市)に生まれた。1936年に18歳で現役志願兵として陸軍に入隊。1938年12月、熊谷陸軍飛行学校に入り、桶川分教場などで飛行技術を学んだ。

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その後は満州やニューギニア島などの南方戦線を転戦するも、マラリアを発症。1944年4月に帰国し、入院生活を送った。退院後は佐賀県の目達原飛行場で後進の育成にあたり、終戦を迎えた。

終戦後の混乱と特攻命令

81年前の8月15日、日本は降伏して終戦を迎えた。直後の混乱のためか、2日後、山田さんに特攻命令が出された。山田さんは妻の輝子さんや長男の孝輝さん(82)に宛てた遺書を同僚に託し、出撃を待ったが、命令は直前で取り消された。

その後は福岡県大川市で農家や木材市場の職員として働き、1987年に69歳で亡くなった。

企画展の内容

企画展では、山田さんのカメラで撮影された写真や遺書の複製など約40点を展示している。終戦後、シベリアに抑留された日本人捕虜が自身の経験について書いた資料も紹介する。

同館の担当者は「8月15日の終戦後も混乱の中で犠牲者が増えていったことを感じてもらいたい」と話す。

資料の多くは孝輝さんから提供を受けたという。展示室では、孝輝さんのインタビュー映像が上映されており、「いったん始めたら、なかなか止められないのが戦争だ」などと語っている。

企画展は10月12日まで。祝日を除く月曜と9月24、30日は休館。午前9時~午後4時半で、入館無料。

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